以前働いていた教会で、ある日曜日に母娘が教会前庭のベンチに座り、二人で食事をしているのを見かけました。娘さんは高校生くらいで、パッと見で近所の一般家族かと思いましたが、食事を終えると、平然とミサ中の聖堂に入って、聖体拝領だけして、すぐに帰って行きました。
この信者の母娘は、失礼かと思いますが、教会の本質があまり分かっていなかったのでしょう。第2バチカン公会議後の今でも聖体拝領の1時間前は、水とクスリを服用する以外は、飲食を控えることになっています。つまり、このような教会の規定や習慣は、現在でも生きているということです。
また特別な理由でミサに遅れた場合に限り、奉納までに間に合えば、ご聖体は頂けますが、ミサの終わる聖体拝領のときに来て、ご聖体だけを頂くのはふさわしくありません。教皇フランシスコも「時計を見ながら、説教の後に到着すれば、まだ間に合うと思うのは良くない習慣である」とミサに遅れることの注意を促されています。
では、なぜこのような規定や習慣があるのでしょうか。それはご聖体を頂くためにカトリック信者は「準備」が必要だからです。
カトリック教会は、病人や高齢者など体調がすぐれない方には、いつでもご聖体を届けることができます。つまりカトリック教会は、様々なことに柔軟に対応していますが、何でもOKというわけではありません。カトリック信者は、イエスさまをふさわしい心で迎えるために守るべき規定や習慣があることを知らなければならないと思います。
カトリック教会で盛大に祝う「初聖体の祝い」もそうです。子どもたちはイエスさまを自分のうちに迎えるために長い準備をします。それによってイエスさまを迎える喜びを味わうことができます。
リジューの聖テレジアも子どもの頃、初聖体を受けるために3ケ月という長い準備をし、その中で彼女は、進んで多くの愛の行いを実行しました。それによって彼女は「イエスさまを受け入れるとき喜びのあまり涙を流した」と言われています。
すべてのことにおいて「準備」は基本であり、大切なことです。準備をすることでより物事が上手く行われ、また深めることができるからです。
私たちもリジューの聖テレジアのように、ミサの中でご聖体をふさわしい心で頂くために、積極的な準備を心がけるように致しましょう。
参照『you tubeカトリック入門講座第5回:開祭に遅刻しないことが大切:カトリック鳥栖教会』
主任司祭 西本 裕二