祈り

先週8月4日は、主日と重なっていましたので、気づかなかった方もいたかと思いますが、聖ヨハネ・マリア・ビアンネ神父の記念日でした。彼はすべての司祭の保護聖人であり、その生き方から私の尊敬する聖人の一人です。

このビアンネ神父は、ある日、自分が働くアルスの教会の中に一人の農夫が座っているのを見かけました。彼はいつも朝夕に教会の前を通ると、入口に農具を置いて必ず中に入って祈っていました。ビアンネ神父は、この農夫に対して「あなたは何をしているのですか」と尋ねると、「私は主を見ています。主も私を見ています」と言いました。これを聞いたビアンネ神父は、感心して、翌日のミサの説教でこの出来事に触れました。そして「皆さん何と美しいことでしょう」と言われたそうです。つまりビアンネ神父は、この一人の農夫の素朴な信仰を褒めて言われたものだということです。
「私は主を見ている。主も私を見ている」。これは神の現存を感じている人の言葉です。私は信仰とは単純であり、そして限りなく深いものであると思っています。一見矛盾しているかのように感じますが、単純に心で受け止めることで信仰の神秘に触れることができると思います。

リジューの聖テレジアの信仰がまさにそうであったと言えるでしょう。それは彼女が『小さき道』に示された単純さと霊性の深さは矛盾することがないからです。
大人の皆さんは、幼い頃、何か悪いことをしようとすると「神さまがいつも見ているよ」とか、頑張っているときには「誰も見ていなくても神さまはちゃんと見ているから大丈夫」などと人から言われ、注意をされたり、励まされたりした人は少なくないでしょう。
ビアンネ神父が出会った農夫もきっと日常の生活や仕事を通して、神の働きや恵みを感じていたからこそ、単純に「主が見ている」という信仰を持っていたのではないかと思います。私たちも自分の日常の生活や仕事を大事にして、そこから神の現存を感じることができたら幸せではないでしょうか。

主任司祭 西本 裕二

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