神の国

カトリックカレンダーを見ると週日(平日)のほとんどの日に聖人の名前が記されています。聖ペトロ、聖パウロ、アシジの聖フランシスコ、聖カタリナ、コルカタの聖テレサ(マザーテレサ)、前回触れました聖ビアンネやリジューの聖テレジアなど本当に様々です。これは単に教会が聖人を記念し、祈るためだけではなく、私たちカトリック信者がその信仰と生き方を「模範」とするためです。聖人の数は、カレンダーの数分だけの365人どころではなく、実のところ正確な人数は、私たち司祭もよく分かっていませんが、教会が列聖した聖人は数千人とも思われています。

聖人とは、救われて神の国に集う人たちです。ですから、列聖されて名前が知られている聖人だけでなく、善意のうちに神のもとに召された名前すら知られていない無数の聖人たちもいます。また現代、カレンダーに記されている聖人たちは、現代の私たちにとって、身近な模範になる人たちです。以前、カレンダーに記されていた聖人の中には、新しい聖人が加わったことで、その生き方がはっきりしないことから、外された聖人もいます。
それはさておいて、大事なのは、彼らの信仰と生き方が今の私たちの模範として、神が教会をとおして示され、それを私たちはどう生きるかが問われているということです。

信者の中には、「聖人なんかなれやしない」と言う方もいます。それは私たちも同じでしょう。つまり最初から自分とは別世界の人、真似できない人などと勝手に思い込んで、諦めているところがあるのではないでしょうか。
けれども、もし今、彼ら聖人たちが生きていたら、私たちにきっとこう言うでしょう。「私もあなたと同じように誘惑や悩み、失敗や挫折もありました。また人を恨んだり、妬んだりもしました。あなたと同じ人間として弱さや罪をかかえて、この世に生まれてきたのです。ただ違うのは、私は自分の救いのために頑張った。でもあなたは頑張らなかった。頑張ろうとしなかった。ただそれだけの違いです」と。
つまり私たちも聖人にならなければ救われないということです。だからこそ、諦めずに、その信仰と生き方を模範としなければならないのです。私たちの弱さの一つは、りっぱな人を見ると模範とする前にすぐ諦めてしまうことです。

現在ドジャースで活躍している大谷翔平選手は、昨年行われた世界一を決めるワールドベースボールクラシックで日本代表として、アメリカ戦の前にメジャーリーグを代表する有名選手たちの名前をあげて、「憧れるのをやめましょう」と言って、仲間の日本選手を鼓舞しました。それは大谷選手が彼らへの憧れを捨てなければ勝つことができないと考えたからでしょう。

神の一番の望みは、すべての人が救われることです。そのためにこそ、私たちも聖人を単なるあこがれや目標に留めるのではなく、自分が聖人になるための模範として、その信仰と生き方を見倣っていくように致しましょう。

                           主任司祭 西本 裕二

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