「障害者権利委員会委員に選ばれて」

2024年10月27日(日) 会場:カトリック都筑教会聖堂

こんにちは、田門浩と申します。今回、国連・障害者権利委員会の委員に選ばれた弁護士です。まず、自己紹介をさせていただきます。私は生まれつき耳が聞こえないろう者です。普段の会話は、手話や筆談を使ったり、音声認識アプリを使ったりしています。出身は福島県で、中学校まではろう学校に通っていました。最後は筑波大学附属ろう学校で学びました。その後、千葉県立薬園台高校と東京大学法学部を卒業しました。千葉市役所で働いていた1995年10月に司法試験に合格しました。そして、1998年4月には弁護士登録をしました。現在は、学校法人明晴学園の理事長を務めたり、武蔵野大学で非常勤講師として教えたりしています。2024年6月には、障害者権利委員会の委員選挙に当選しました。カトリックにつきましては、1995年12月にカトリック鷺沼教会で受洗し、現在は都筑教会に在籍しています。

次に、私の個人的な経験についてお話ししますと、耳が聞こえないということで、いくつかの地域の高校から入学を断られた経験があります。しかし、地元の一つの高校が受け入れてくれて、卒業時には総代として卒業証書を受け取りました。大学も、授業の内容がわからないだろうという予断から、入試の受験を断られそうになりました。入学後も、手話通訳者やパソコン通訳者がいなくて、授業の理解に苦労しました。しかし、大学と交渉して、大学4年時には、大学が手話通訳者やノートに書いてくれる方の費用を用意してくれるようになりました。これは学部では初めてのことでした。また、司法試験合格直後もいろいろな方からの支援をいただきながら司法研修所と交渉して手話通訳者を用意してくれることとなりました。これも初めてのことでした。現在は手話通訳者を雇って弁護活動をしています。依頼者の60%は障害のない方々です。このように、社会にはまだまだバリアがたくさんありますが、障害のない人と一緒に学び働く状況を少しずつ構築しているところです。

教会では手話通訳を受けながらミサに参加しています。神父様や教会の皆さんにはとても助けられています。告解のときは手話通訳は入れないので、ご配慮により神父様と同じ部屋で、筆談か音声認識アプリを利用して、ゆるしの秘跡の恵みをいただいています。

ここまでが私の紹介ですが、国際連合についても少しお話しします。国連の本部はニューヨークにあり、地域事務所はジュネーブ(スイス)、ウィーン(オーストリア)、ナイロビ(ケニア)にあります。加盟国数は2024年10月現在で193か国です。国連総会は毎年9月の第3週目の火曜日からほぼ1年にわたって開催されます。全加盟国が出席し、投票を行います。加盟国の単純過半数によって採択される仕組みです。

条約についてですが、「条約」とは文書による国家間の合意を意味します。国家が同意して初めて、条約の効力が生じ、条約に従う義務が締約国に生じます。障害者権利条約の場合は、国連総会で採択した後、20か国が批准して初めてその国々に対して効力が生じる仕組みです。それ以後は、批准する都度、批准した当該国に対して条約の効力が発生します。2024年6月11日現在、締約国は191か国・地域となっています。障害者権利条約は、9つある中核的人権条約(後記)の一つで、障害者の権利と自由を守るための国際ルールです。全部で50か条から成り立っています。2001年の国連総会決議により特別委員会が置かれ、2002年から2006年まで委員会で条約案の内容について議論されました。後で知ったことですが今同じ教会にいらっしゃる角茂樹さんも外交官として日本政府を代表してこの議論に参加されていました。その後、2006年12月13日に国連総会で障害者権利条約が採択され、最初の20か国が批准した結果、2008年3月3日に条約が発効しました。日本は2014年1月20日に批准し、2月19日から日本も条約に従う義務が生じました。

この9つの中核的人権条約において、それぞれ個人の資格で選出される専門家で構成される委員会が設置され、条約の履行を監視する役割を果たしています。これがいわゆる人権条約機関です。例えば、女性差別撤廃条約は、女性差別撤廃委員会を設置し、年3回、ジュネーブの国連欧州本部で各国からの報告を審査しています。2024年10月17日には、日本政府からの第9回報告に対する審査が行われました。障害者権利条約も同様に、障害者権利委員会を設置して、条約の履行を監視する役割を与えています。対象は違いますが、役割は女性差別撤廃委員会とほぼ同じです。委員は18人で、2009年から活動を開始しました。それぞれの委員は個人の資格で各国から独立して活動しています。一番大きな職務は、締約国からの報告を審査して、総括所見という見解を示すことです。3月と8月にはそれぞれ1か月間、スイスのジュネーブで、各国からの報告の審査などを行います。ニューヨークではありません。2025年3月には、3日から21日までの3週間、カナダ、ドミニカ共和国、欧州連合、パラオ、ツバル、ベトナムの6か国の報告を審査する予定です。

審査の流れについて説明します。国家などは条約を批准すると、2年以内に、その後は4年ごとに、条約にしたがって施策を進めているかどうかを、委員会へ報告します(35条)。委員会は国家などからの報告およびNGOの情報を元に、事前質問事項を作成します。事前質問事項に対して国家が回答した後に、委員会と国家の代表とが対面して質疑応答(建設的対話)を行います。そして、委員会から見解が提示されます(総括所見)。

日本については、障害者権利委員会の初回審査として、2022年8月22日から23日にかけてジュネーブで建設的対話の形で行われました。私も、選挙運動前ですが、ジュネーブに行って2022年の建設的対話を傍聴し、他の障害者権利委員会委員の活動を直接見ることができました。建設的対話の場で政府から、障害者権利委員会委員の候補者との紹介がなされました。もともと、日本は、障害者権利条約を批准するために2013年に障害者差別解消法を制定し、そのなかには障害者に合わせて社会の設備やルールを変えるという合理的配慮も定められていました。例えば、教会の告解のときに、神父様と同じ部屋で、筆談か音声認識アプリの利用をお認めいただけていることも、実は合理的配慮になります。聞こえない人が日本語もわからないときは、手話を使うことが合理的配慮になります。合理的配慮の方法は、障害者一人ひとり異なります。しかし、現在も社会のバリアが数多く残っています。例えば、地方の駅にはスロープやエレベーターがないところも多くあり、車いす利用者が不便を感じています。2022年10月7日に確定した障害者権利委員会による日本への初回総括所見では、懸念93項目、勧告92項目、留意1項目、奨励1項目が示されました。その中には、特に大都市以外において、公共交通機関が容易に利用できるようにするための取り組み(アクセシビリティ)が進んでいないという懸念も示され、大都市以外も含めて交通機関が容易に利用できるように(アクセシビリティ)、国において、行動計画や戦略を進めること、との勧告がなされました。政府は総括所見に従う義務を直ちに負うわけではありませんが、2回目以降の政府報告(2028年2月20日まで)には、前回の総括所見に対して、国が取った措置について説明することになっています。

このように、障害者権利委員会は、条約の履行を監視する重要な役割を果たしています。任期は4年で、1回のみ再任が可能です。日本では、石川准静岡県立大学教授が2017年から2020年の4年間務めました。委員は選挙で選ばれることになっており、障害者権利条約締約国会議で2008年以降、2年ごとに半数の9人ずつ選ぶ選挙が行われています。2024年で9回目の選挙となります。締約国1国に1票で、現時点で締約国は191か国です。

私が立候補した大きな動機は、旧優生保護法の存在による優生思想を無くしたいということと、災害における障害者の人権保障を図りたいということです。2020年に日本の障害者団体から推薦をいただき、政府が検討のうえ2022年に指名を受けました。2023年から1年間、ニューヨークに3回行って選挙運動を行いました。ニューヨークの国連本部のラウンジや外部のレセプションの場で、アメリカ手話(ASL)を使ってASL通訳者の通訳により、各締約国の担当者や外交官と会って、委員を目指した理由を説明して選挙運動を行いました。2024年選挙では16か国からそれぞれ1名ずつ立候補の登録がなされ、選挙までに3名の辞退があり、最終的には13名のなかから9名が選出されることになりました。立候補者の構成は、中南米・カリブ5国(1国辞退)、アフリカ4国(1国辞退)、中東1国、アジア3国(1国辞退)、欧州3国でした。2024年6月11日の障害者権利条約締約国会議で選挙が実施されました。午前11時20分に最初の投票用紙が配布されましたが、辞退したはずの候補者の氏名が投票用紙に載っていたため投票が中断されました。午前12時00分に投票用紙が再配布され、午後3時00分に投票結果が発表されました。得票順に名前が呼ばれることになっていますが、いきなり最初に私の名前が呼ばれ、大変驚きました。

来年の2025年1月からは、前回の2022年選挙で選ばれた、中南米・カリブ1国、アフリカ2国、中東2国、アジア1国、欧州1国、大洋州1国、北米1国からの委員(任期2023年から2026年まで)に加えて、今回の2024年選挙で選ばれた中南米・カリブ4国、アフリカ2国、アジア2国、欧州1国からの委員(任期2025年から2028年まで)の18名で一緒に活動をすることになります。この活動にあたっての課題は、障害者権利委員会委員のアクセシビリティです。国連からは限定した時間内だけ国際手話の通訳者を提供するとの提案がなされていますが、実際には時間外にも会議が設定される見込みで、その時間帯には手話通訳者が提供されないとのことだったので私からはその時間帯も手話通訳者を提供するよう要望しています。さらに、国際手話とASLとは手話が異なっており、田門はASLの方がうまく使えるので、ASL通訳を使いたいと国連に要望を出しております。しかし、国連は、物価上昇と加盟国の分担金支払問題のために、例えば、2023年はジュネーブの国連欧州本部ではエレベーターが停まったりするほど財政的に危機状態にあり、要望をすべて満たすことは難しいと言われています。しかし、私としては委員としての役割を十分に果たすことができるように、国連と交渉を続けていきたいと思います。

最後に、私の抱負についてお話しします。神父様や教会の皆様から励ましやお祈り、ご支援をいただいて1年にわたる選挙運動を乗り越えることができました。また、障害者権利条約の制定に関わった元外交官の角茂樹様ご夫妻にも何度も相談して、大変有益なアドバイスをいただきました。実は2014年にも障害者団体から推薦されていましたが2020年に再度推薦され、政府において検討のうえ2022年に指名を受けた次第ですが、2014年でなくて2022年に指名を受けたのも神のお導きと思います。というのは、この年に指名されたからこそ、障害者権利条約制定に携わった角さんとの出会いが可能となりましたし、私の家族の状況としても、2022年の方がちょうど良い時期であったからです。今回当選した訳ですが、今回の選挙に立候補された他の候補者も、今まで障害を持つ方々の地位向上に尽力されており、尊敬に値する方々です。また、当選後は、武力紛争を抱えている国々から祝福をいただきました。神から与えられた役割や、日本を含め各国の方々からの信任、また、当選に至らなかった候補者を思い起こして、委員活動に励みたいと思っています。


参考:中核的人権条約
1965 人種差別撤廃条約
1966 国際人権規約(社会権規約、自由権規約)
1979 女性差別撤廃条約
1984 拷問等禁止条約
1989 子どもの権利条約
1990 移住労働者権利条約
2006 障害者権利条約
2006 強制失踪条約

田門 浩



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