主任司祭 西本 裕二

「差し出す」という言葉は、とても“崇高”な行為のように思います。それは「自分の命を差し出す」とか、「自分の大切な物を差し出す」といったように犠牲や痛みがともなって、自分を相手に捧げるイメージがあるからです。

旧約聖書の中に神からの命令に従うために自分の愛する子供を殺そうとした人がいました。それはアブラハムです。わが子イサクは、妻サラとの間に長い間待ち続けた末に生まれた一人息子でした。神はアブラハムに対して、自分の子孫が増えることを約束しました。それにもかかわらず、神はあるとき「あなたの息子、愛する独り子イサクを連れて、モリヤの山に行きなさい。わたしが命じる山の一つに登り、彼を焼き尽くす捧げ物としてささげなさい」と命じられます。神の言われた場所につくと、アブラハムは息子を縛って、薪の上に置いて、ナイフを振り上げて、殺そうとしたそのとき、神は「その子を殺してはいけない」と言われました。間一髪のところで息子イサクは救われます。そして親子は、神が指示した茂みの中に見つけた一匹の雄羊をイサクの代わりにささげたという話(創世記22.2-13)です。
結果として、アブラハムは息子イサクを殺さなかったものの、とても衝撃的な出来事です。自分の息子を捧げ物として差し出す父親がいるでしょうか。またなぜ神はこんな恐ろしいことを命じられたのでしょうか。

アブラハムが愛するわが子イサクを神に差し出したのは、彼の神への信仰の表れです。アブラハムはユダヤ人から「信仰の父」として今でも尊敬されています。つまり、アブラハムは「自分にわからなくても、神には考えがあり、その考えはいつも正しい」。これが彼の信仰と言えます。どこまでも神に信頼する。ですから本当に大切なものを「差し出す」という行為は、神への信頼と愛がなければできないことだと思います。それだから崇高な行為と言えるのです。

クリスマス、父である神がご自分の愛する独り子イエスを私たちのために差し出してくださいました。そのおかげで私たちに対する神の愛が明らかにされ、永遠の命の救いをもたらされました。そして神の思いは、アブラハムと同じように、人間に対する信頼から来ているのではないでしょうか。つまり神はそれほど人間を深く愛してくださっているということです。

話は変わりますが、何度も話してきた私自身の体験談ですが、神学校に入る前に会社を辞めて、1年ほど牛乳配達のアルバイトをしていたことがあります。午前中に丸の内オフィス街で働く人たちに牛乳を届ける仕事でした。その仕事を選んだのは、生活もあったので午前中働いて、午後に教会で奉仕するためでした。これは私が受洗して間もなかったので教会の体験が少ないことから自分にとって必要なことでした。

しかし一人で仕事と奉仕をしているうちに次第に不安になり、自信が持てなくなって、神学校に行くのは、やめようと考えていたある日のことです。配達のために自転車で通るいつもの道に一人のホームレス風の男性が壁にもたれて立っていました。そして私はその前を通り過ぎようとしたとき、かわいそうだと思って、何かあげようと考えました。配達のために余分に積んでいた牛乳がありましたのでそれを一本、その男性に差し出すと、手を出して受け取ってくれました。するとその時です。突然、全身に力がみなぎったような感覚を覚えました。それから不思議とあきらめかけていた司祭召命の道を再びやってみようと思えるようになりました。それはきっと私が一人の男性に牛乳を差し出したことで、神への信頼と愛につながって、私のような者を司祭職へ導いてくださったのではないかと思っています。

ですから、私も自分に対する神の信頼と愛に応えるためにも、自分が持っている才能や能力などすべてを差し出していこうと考えています。

私はこの体験で、自分の持っているものを人に「差し出す」ことで、神からの恵みが与えられると思うようになりました。

使徒言行録(20.35)でパウロが引用しているイエスの唯一の言葉として「受けるよりは与える方が幸いである」という言葉は、差し出すことがいかに幸いかということも示しています。それは差し出すことは、与えることでもあるからです。私たちが差し出すことができるのは、物だけではなく、自分の時間や力など、自分にあるどんなものでも、人の支えや助けになるならば、神への信頼と愛につながっていくのではないでしょうか。なぜなら、どれも自分にとって、犠牲や痛みがともなうからです。

イエスは、ヨハネ福音書(5.19)で「父のなさることはなんでも、子もそのとおりにする」と言われました。それはイエスご自身、アブラハムと同じように「父である神のなさることには、考えがあり、その考えはいつも正しい」という立場にたって、み旨を果たされたからです。

このクリスマス、独り子イエスを私たちのために差し出された神の愛を考えながら、もう一度自分の信仰の原点に立ち戻って、アブラハムのように、神への信頼と愛を深めてまいりましょう。

参照「バイブルラーニング:アブラハム“信仰の人”その試練と祝福の人生」

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