待降節第3主日は、「喜びの主日」と呼ばれています。それは今日の聖書朗読のほとんどが「喜び」をテーマとしているからです。

第一朗読では、ゼファニヤの預言が読まれます。そこでは「娘シオンよ、喜び叫べ。イスラエルよ、歓呼の声をあげよ。娘エルサレムよ、心の底から喜び踊れ。」といったように、神によるイスラエルの救いを喜ぶ言葉です。
第二朗読ではフィリピの教会への手紙が読まれますが、そこでは「主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。」という言葉で、パウロは、私たちに常に喜びを持つことを求めています。

福音書では、メシアの到来を喜びと期待をもって待つ洗礼者ヨハネの姿が示されています。
第二朗読でパウロの言う「常に喜びなさい」という言葉は、現実の生活において、私たちの心に常に喜びを持つことが簡単なことではなく、むしろ難しいと感じる方が多いのではないでしょうか。私も同様です。それは現代社会を考えますと、私たちに困難や不安、恐れなどをもたらす事がたくさんあるからです。今、世界では戦争や覇権争いなどの紛争、また経済不況による物価高などが起こっています。また国内では相次ぐ闇バイトによる強盗事件や政治不信など数々の問題があります。それらを考える時に、呑気に喜んでいられないようにさえ思います。

しかしパウロは、「主において常に喜びなさい」と言っています。それはパウロが困難や恐れがある時にこそ、主に信頼して、喜びを持つことが大切であると教えているように思います。それはキリストへの信仰を持つことで、様々な困難や不安、恐れといったものを乗り越えていけるからだと思います。人間は、持前の明るさや元気だけでは乗り越えられないものがあります。だからこそ主に信頼し、ゆだねる必要があると思います。それは主イエス・キリストにこそ、その力と救いがあるからです。

ですから、私たちは単に喜び過ごすのではなく、主に信頼し、希望のうちに喜びをもって主の到来を待ち望みましょう。

主任司祭 西本裕二

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