今日は、都筑教会として、二十歳の成人の皆さんをお招きして、11時ミサの中で司祭による祝福が行われます。

私自身、成人式はどうであったかを思い起こしてみましたが、何の印象も残っていませんでした。当時、区主催の成人式が区民会館で行われていましたが、私はその案内状のハガキを親にも見せず、参加しないで、いつの間にか成人を迎えたように思います。
今、考えてみますと、当時は恥ずかしさと面倒臭いといった未熟な気持ちがあって、折角の人生の大事な節目を無駄にしてしまい、正直、少し後悔しています。それは「節目」を大事にすることが自分にとって大きな力になることに、今更ですが気づいたからです。

「節目」について話す際に、植物の竹がよく引用されますが、竹は一日に1m以上成長することもあります。単にそのまま成長すれば折れてしまいますが、節目があるからこそ、大雪や強風にあっても簡単に折れることはありません。むしろ節が柔軟に伸び縮むことで衝撃をやわらげます。これと同じように、私たちもそれぞれ人生の「節目」をしっかりと生きることで、試練や困難を乗り越え、柔軟に物事を受け止め、人として大きく成長していけるということです。
しかし私は成人の「節目」を大事にしなかったせいで、二十代は、悶々と過ごしていたことが多かったように思います。それは「節目」に自分を見つめず、また何も考えずに過ごしていたからです。

成人を迎えた若者たちだけでなく、信徒の皆さんの誰もが、これからの人生において、様々な「節目」を迎えるでしょう。そのとき、それをどう受け止めるかで人生の歩みも変わってくると思います。
それは人生の節目のときにこそ、キリスト信者は、成熟した信仰を養うことができると言えるからです。ですから、「節目」を大事にして、しっかりと受け止めましょう。それによって、〝岩の上に自分の家を建てた賢い人″(マタイ7.24)のように、何が起こっても乗り越えて行ける堅固な信仰の土台を築き、生きることができるだけでなく、そのような人には、神の恵みが豊かに与えられるのではないでしょうか。

主任司祭 西本裕二

LINEで送る