まず最初に、「聖年」と日本文化とのつながりについて述べましょう。
⑴日本において「聖年」を祝う習慣
日本においてキリスト教信仰が伝わったのは1549年の聖フランシスコ・ザビエルの宣教活動によるものですが、その後のキリシタンたちの歩みにおいて、果たして「聖年」の祝いが記録されたかどうかを確認しましたが、いまのところ明確な資料を発見できません。日本で「聖年」を祝う習慣がいかになされたのかを明確にまとめる作業は今後の課題です。ただし日本のキリシタンの活動時期と同時代の教皇庁の責任者の教皇たちの「聖年」挙行の年度は今日に至るまで明らかなので、それらの年をめぐる日本の状況を探れば何らかの発見があることが予測できます。
(2)日本における「聖年」と観光プロジェクト
①観光プロジェクト——日本における「聖年」の祝いの関連行事が観光プロジェクトと結びつく場合もあるでしょう。特にカトリック信徒の旅行代理店関係者などが「聖年」の意義を理解したうえで従来の旅行案内の技術を活かして様々な巡礼ツアーを組むことも考えられます。その際に、巡礼ツアーに参加するカトリック信徒たちや教会親派の一般の方々が、カトリック教会における「ゆるしと免償」の意味を確認し直すことで「神の慈愛深い配慮」を理解するきっかけとなります。つまり巡礼ツアーをとおしてカトリック信徒は熱心な信仰生活を再開する決意をし、一般の方々も教会の伝統における神の寛大な受け容れ姿勢を発見できます。
②家族の信仰生活の見直し——あるいは日本の各教会管区における巡礼指定聖堂への信徒家族づれの訪問によって各家族が信仰生活の見直しをする機会を得ます。普段は家庭内で信仰を話題にしない家族が、ともに巡礼することで、家族としての信仰生活の深め方を話し合うことになり、一家の結束が強まります。
③日本の国際博覧会への参加——2023年12月21日、に教皇庁福音宣教省は、2025年度の日本国際博覧会(大阪・関西万博)に参加してパビリオンを開設することを公表しました。バチカンのパビリオンのテーマは「美は希望をもたらす」というものです。教皇庁はパビリオンの館長として福音宣教省世界宣教部門副長官のサルバトーレ・リノ・フィジケッラ大司教を任命しました(長官は教皇フランシスコ)。余談ですが筆者はローマ留学時の1998年にリノ師の講義「信仰と理性」を受けましたので、なつかしいです。そしてフィジケッラ大司教はピエトロ・ボンジョヴァンニ主任司祭(イタリアのサン・サルバトーレ・イン・ラウロ教会)とヌノ・リマ主任司祭(大阪カテドラル聖マリア大聖堂[玉造教会])を副責任者兼副館長として任命しました。キリスト教信仰の宣教に際して、美が大きな役割を果たしてきたことは、教会において様々な藝術作品が制作されることで信仰の意味が具現化されたことに見受けられます。パビリオンでは展示と装飾と独自の視点を提供することで、あらゆる刷新者たちと教会の信仰の視点とを共有しつつ、希望をもたらす美の働きについて考える機会を広げることが目的です。「ルーチェと仲間たち」※という、ゆるキャラにも会えます。なお大阪・関西万博は2025年4月13日から10月13日まで大阪湾内の人工島の「夢洲」(ゆめしま)にて開催されます。この万博の総合テーマは「いのち輝く未来社会のデザイン」であり、サブ・テーマは「いのちを救う・いのちに力を与える・いのちをつなぐ」です。
註;※「ルーチェと仲間たち」——2025年の通常「聖年」の巡礼キャラクター
イタリアのバチカンの丘にあるキリスト教の本部のローマ教皇庁は2025年に開催される「聖年」(聖なる一年)のためのイメージ・キャラクターを発表しました。「ルーチェと仲間たち」という設定です。「ルーチェ」と「鳩」と「天使」と「犬」が登場します。ルーチェとは光という意味のイタリア語で、巡礼の旅に参加する女の子のキャラクターの名前です。鳩は平和のシンボルで、神の働きを巡礼者に実感させます。天使は旅の安全を保障する、神から派遣された警備担当の役目を果たします。犬は、神の計画に沿って相手を導く案内役です。
ルーチェの両目の中にはホタテ貝の殻の絵が描かれています。多産なホタテ貝は、いのちの豊かさのイメージを思い出させるシンボルであり、スペインのサンチャゴ・デ・コンポステーラの巡礼地を旅する人びとが首から下げる「貝殻のおまもり」の形です。
ところで「聖年」(「ヨベルの年」、「解放の年」;ラテン語: Iobeleus、英語: Holy Year, Jubilee Year)とは「ローマを巡礼する者に特別に罪のゆるしを約束するとともに償いの免除を与える」という意図で、14世紀以降の歴代の教皇によって定められた「恩赦の年」のことです。
当初は旧約時代の「ヨベルの年」(雄羊の角で作った笛[ヨベル]を吹き鳴らして神の慈愛が及ぶことを告げ知らせる一年)にならって50年ごとに行いましたが、「聖年」を迎えることができずに人生を終える人が多かったので、キリストの生涯の歩みの長さに合わせて33年ごとに行うようになり、さらに現在は25年ごとになりました。「ヨベルの年」とは、あらゆる借金が免除されて、人間らしく生きられるチャンスが与えられる一年という意味で、金持ちは貧しい人にお金を捧げて協力します。そして、貧しい人は金持ちの温情を受けながら人間らしい生活を取り戻せます。こうしておたがいに助け合う愛情に満ちた生き方を実現する社会の仕組みがイスラエルにはありました(実は単なる理想論で、実際に実行に移されたかどうかは確認できません)。その理想の伝統をキリスト教が受け継いだのです。 古代イスラエルの民はエルサレム神殿に巡礼しました。キリスト者もこの習慣を受け継ぎ、教会共同体の本部のローマ(聖ペトロや聖パウロを始めとする多数の殉教者たちのあかしの土地)を巡礼地に定めました。巡礼を志す者は自分のからだ全体を用いて祈り、自分の生涯が神に至るまでの長い旅路であることを五感全体で経験します。つまり巡礼の歩みは各自に人生の旅路の意味を再確認させる絶好のチャンスなのです。
