3月19日は、聖ヨセフを記念しました。日本は6月第3日曜日が「父の日」ですが、イタリアやスペインなどカトリック国では、聖ヨセフを記念する祭日が、「父の日」とされています。これはヨセフがイエスに対して、父の心で愛をもって養い育てたからだと思います。ヨセフの父性がよく示されている出来事は、イエスを身ごもっていたマリアを連れてベトレヘムにたどり着いたとき宿屋が見つからず、ヨセフが必死になって泊まる場所を探し求めたことや、ヘロデが幼子の命を狙っていることを知ったヨセフがマリアと共にイエスを連れてエジプトに避難したことなどにあると思います。それは我が子の命を必死に守ろうとする姿にこそ、ヨセフの父性が示されていると言えるからです
では「父性」とは何でしょうか。自分のことになりますが、私の父のことで一番思い出に残っている出来事は、母の故郷であった福島に行くため、父が幼い私と兄を連れて、列車に乗ったときのことです。三人でそれぞれ一人用の席を確保して座っていたときに、ひとりの酔っ払いらしき男性が私たち親子の前に立ちはだかって、突然「子供は詰めて、席を譲れ」と言ってきたんです。すると私の父がその男性に対して、「勝手なことを言うな、子供も一人分だ」と毅然とした態度を取ったので、すごすごと引き下がりました。このとき初めて自分と兄を守ろうとした強くて優しい父の姿を見たように思います。
ですから、私のもつ「父性」のイメージは、子供を守ろうとする〝強くて優しい父親の姿″です。そしてヨセフの「父性」に対しても重なるものを見ています。
ヨセフにもあったであろうこのような父性は、少なからずイエスに影響を与え、その後のイエスの生き方にも反映されたのではないでしょうか。
子供を持つ信者の父親の皆様、ヨセフのような我が子の命を守る強くて優しい父親の姿を模範として頂きたいと思います。それは子供に影響を与えるだけでなく、父である神の姿を反映するものとなるからです。
主任司祭 西本裕二