信仰の心

聖ピエトレルチナ・ピオ神父

教会は9月23日、聖ピエトレルチナ・ピオ神父を記念します。彼は57年前に亡くなったので「現代の聖人の一人」と言えます。
ピオ神父と言えば、アシジの聖フランシスコのようにキリストの聖痕を身に受けた司祭として有名です。彼のその噂を聞いて、各地から人々が訪れ、ピオ神父は霊的指導者として多くの信徒の告解を聞き、祈りと謙遜のうちに献身的に働きました。

話は変わりますが、以前いた教会で助任司祭として私と一緒に働いていたイタリア人のヨハネ・マルシリオ神父(現在チマッティ資料館長)から聞いた話ですが、彼が若い頃、イタリアに帰省した時、以前から会ってみたいと思っていたピオ神父のもとに行き、告解をしたそうです。するとマルシリオ神父は、自分が考えていた以上にピオ神父から厳しい助言を受けたと言っていました。
ピオ神父という方は、自分に厳しいだけでなく、人に対しても厳しさを求めていたようです。実際、ピオ神父は虚栄心の強い女性に対して厳しい態度を取り、次のように述べました。「服装で虚栄心を満たす女性は、決してイエス・キリストの命を身に纏うことはできない。」と。このような厳しい言葉に私も少し驚かされます。

カトリック信者は告解の際、自分にとって、耳障りの良い言葉、助言だけを求めているならば、良い告解はできないでしょう。カトリック信者は、司祭のどんな助言であっても、素直に信仰をもって受け止め、自分自身の回心のきっかけにすべきだからです。
私自身、司祭として、聴罪の際、無難な助言をしていることが多いと思います。しかし、それが本当に告解に来られた方のためになっているのか悩むことがあります。告解のときに大切なのは〝司祭は信仰の心で聴き、信徒は信仰の心で受け止める″ことだと思います。つまりピオ神父の厳しさとは、信仰から来ていたと言えるでしょう。だから、訪問者の多くは、彼に告解をして、信仰を取り戻し、心癒されて喜んで帰っていったのではないでしょうか。
参照「RINNEちゃんのアニメ半生、聖ピオ神父」
「小崎登明93歳の日記、キリストの聖痕のピオ神父」

主任司祭 西本 裕二