名月

伝統や慣習をどう活かして、残すか

秋と言えば「月見」ですが、昨今、世間では月見と言えばハンバーガーなど食べ物がブームになり、様々な企業がその開発を競い合っています。でも月見気分を食べ物で味わうことは理にかなっています。それは日本では昔から月見は、十五夜に昇る中秋の名月のときに、月を見上げながら供えた団子を食べることで、秋の到来を感じる風物詩で情緒ある風習と言えるからです。このように本来は月見団子を食べますが、それがハンバーガーに代わったにせよ、季節を感じることには変わりはないと思います。

では十五夜はいつなのか、実は昨年は9月17日でしたが、今年は10月6日、来年は9月25日と幅があります。これを考えますと、キリスト教の「復活祭」に少し似ているように思います。こじつけのようですが、復活祭も毎年、日にちが移動して幅があります。そして月見は、月を見上げますが、復活はキリストを見上げます。このように日本文化の季節感は、キリスト教の典礼の季節感を彷彿させるような気がします。

キリスト教には、待降節、降誕節、四旬節、復活節、年間があり、キリストの生涯を一年として典礼の季節を感じて信仰生活を歩みます。
 日本文化も様々な季節の行事や風習があって、昔はそれが生活の一部になっていたように思います。でも残念なのが次第にそのような行事や風習が廃れてきていることです。しかし私は形が多少変わっても、季節感を感じるようなものとして受け継いで残れば、それで良いのではないかと思っています。
 日本の伝統文化である歌舞伎を考えてみて下さい。歌舞伎役者の皆さんは、批判を恐れず、歌舞伎の伝統を残そうと現代のアニメなども取り入れた斬新な演出もあって、大勢の人に観てもらうために必死に頑張っています。

教会も同じです。教会の伝統や慣習で廃れてきているのは正直あると思います。たとえば来月10月はロザリオの月になりますが、ロザリオを手にして祈る人は少なくなっています。どうしたらもっと多くの人に再びロザリオを浸透させることができるのか、また聖体賛美式もやらなくなっています。そしてまたベールを被る女性もほとんどいません。そのようなものを単に守ることが大切ではなく、形や仕方が少し変わっても、それをどう活かして、残すかを考えていくことが教会として大切ではないでしょうか。みんなで一緒に考えていくように致しましょう。

主任司祭 西本 裕二