今日は「二十歳の祝福」を行いますが、都筑教会では以前「成人の祝福」と呼んでいました。それは2022年4月に20歳から18歳に成人年齢が引き下げられたからです。そのため法律上、18歳の誕生日から成人となりますので、選挙で投票できるだけなく、クレジットカードが作れ、ローンを組むことなどもできるようになりました。しかし、ほとんどの自治体は20歳で成人式を行っているようです。少数ではありますが、18歳で祝う自治体もあるようです。これによって成人の定義が少し曖昧になったような気がします。成人を迎えることは、社会的な大人の年齢になったことを意味します。
では、大人とは何でしょうか。大人とは、一般的には十分に成長し、精神的、金銭的に自立し、社会的な責任を果たすことができる人を指します。
ですから、大人とは、単に成人の年齢になった人ではないということがわかります。私の若い頃、1970年代から1980年代頃だったでしょうか、モラトリアム人間とか、ピーターパン・シンドローム(症候群)といった言葉が流行りました。
モラトリアム人間とは、「社会的責任を負った大人になるのをあえて踏みとどまろうとする若者」などを意味します。ピーターパン・シンドローム(症候群)とは、「年齢的には大人であるにもかかわらず、精神的に子どもでいる状態」などを指すポピュラーな心理学用語です。
どちらも「社会性を欠いているため、大人になりきれない若者」を指していると言えます。このような言葉が流行った背景には、大人になりきれない若者が多いと思えたからでしょう。しかしこのような状況は昔も今も変わらないと思います。裏を返せば、当時の大人の多くは、若者に対して「はやく大人になれ」と鼓舞していたのではないでしょうか。
では、教会において大人の信者とは何でしょうか。それは自分の意志で教会に足を運び、教会の大切さがわかって、進んで奉仕することだと思います。信者の中には、親が行っていたから当たり前のように教会に行っていたという人もいます。それは決して悪いことではなく、親の姿が証しになっていると思います。
ただ大事なのは、体験ではないかと思います。自分の信仰を育むための体験です。「聖書を読んでその言葉が心に響いた」とか、「教会の仲間に助けられた」とか、「本当に辛いとき心から神に祈った」など、私たちは様々な信仰体験をします。信者はそのような体験を通して、信仰の土台を築き、そして責任ある大人の信者になっていくのではないかと思います。
主任司祭 西本 裕二

