■かたる——はぶんちょの終焉と新たないのちの始まり

                              阿部仲麻呂(協力司祭)

1.「バビンチョ!」と叫ぶモグタンの語り

 おさないころにテレビで子ども向けの教養番組『漫画はじめて物語』を毎週見ていました(1978年から1984年にかけての6年間で全305話が放映されました)。モグタンという案内役の人形が「バビンチョ!」と叫ぶと時空を超えて様々な物事のはじまりを学ぶ旅に出ることができるようになるのです。モグタンの語りかけは斬新で、やさしく物事の意味を教えてくれました。あの語りかけがこの世界の眺めかたを示唆しました。愛情を込めて相手に語る手法で子どもの教育を支えたスタッフたちの熱意は稀有で、「語り」の重要性を教えていました。

2.神による語り

神は語ります。——愛情を込めて相手に語るのが神です。神とは、愛情を込めて相手に語る者の源です[「語り手」としての神]。そのことをヨハネ福音書が活写します。「はじめに、愛情深い呼びかけ[=ことば]があった」[「はじめにキリストがいた」とも訳せます](ヨハネ1・1)。

わたしたちが生きるには誰かからの愛情が必要なのです。誰からも口をきいてもらえない「はぶんちょ(仲間はずれ)」状態の灰色の人生を過ごしている者に対して、誰かが親しく近づいて語りかけたときから急激にバラ色の人生が始まりますが、その事態こそが「創造の出来事」です。創世記もヨハネ福音書も共通して「関わりが結ばれるとき」の尊さを「万事の始まり」として強調しています。愛されるときにこそ、わたしの人生が始まります。それまでは止まっていた時間が着実に流れ出すのです。はぶんちょ状態が終焉して新たないのちが始まるときを聖書全体が「創造の出来事」として記録しているのです。

欧米では、神は「万物の根源」とか「超越者」と定義づけられました。しかし神とは「愛情を込めて相手に語る者」であると理解したほうが納得しやすいです。神を定義づけず、むしろ生きた関わりにもとづいて、大切な相手として実感して一緒に生きるほうが重要です。

3.創世記とヨハネ福音書とが描く同一の事態

実は、ヨハネ福音書は創世記を下敷きにして同様の内容を述べました。イスラエル民族による創造論をまとめたのが創世記ならば、キリストに信頼する者たちによる新しいイスラエルの民(普遍的なあらゆる民)の創造論をまとめたのがヨハネ福音書です。時代を超えた共通の根源的な原則をまとめた記録が創世記やヨハネ福音書なのです。

人間の視野では創世記とヨハネ福音書には歴史的な時間差がありますが、神の視野では両書は同じ出来事を強調するもので、時間差がありません(人間は時空間の枠内で生きるが、神は時空間の枠外にいます)。

イスラエルの語りの伝統によって熟成した創世記では、神が愛情を込めて語ることで相手が活き活きと生きる者となる、というこの世の始まりの意味が描かれます。神が言葉を語ると物事が実現します(言→事)。この事態が「ダーバール」(言=事)と呼ばれています。つまり「言行一致」のことです。神が宣言すれば実際に即座に実りが生じます。しかし人間は「言行不一致」の状態で生きています。つまり約束を実現しないままで平気で過ごすのが人間のおろかさです。

歴史的には、神はイスラエルのさまざまな預言者たちに言葉を託して語らせることで、御自分の意志を明らかに示しました(ヘブライ書の発想)。しかし、神は最終的には御子イエスをとおして語ったのです。御子イエスこそが「神のことば」そのものです。御子イエスを見れば、神の意図がわかるのです。御子イエスの生き方を聞き入れることで私たちは神を理解することになります。

 「神は、昔、預言者たちを通して、いろいろな時に、いろいろな方法で先祖に語られましたが、この『終わりの時代』には、御子を通してわたしたちに語られました。神は御子を万物の世継ぎと定め、また、御子によって宇宙をお造りになりました。御子は神の栄光の輝き、神の本性の完全な具現であり、その力ある言葉をもって万物を支え、罪の清めを成し遂げた後、いと高き所において、威光ある方の右の座にお着きになりました」(ヘブライ書1・1-3)[フランシスコ会聖書研究所訳]。

4.家族に話すように語る

 ところで、筆者は長い歳月をかけて悩みつづけました。いったいどのように語ればよいのか、と。毎回の説教の際に。しかし、2021年に納得できました。教皇フランシスコの講話を翻訳することでヒントを見つけたからです(『CREDO』ドン・ボスコ社、2022年刊)。

「信仰を伝えるには、常に『家庭の言葉』を用いなければなりません」(前掲書、52-53頁)。——教皇によれば「家族に話すように語ればよい」のです。安心しました。もはや理論武装する必要はなく、むしろ素直に愛情を込めて相手に声をかければよいのです。愛情を込めて相手を大切に育み、丁寧に尊敬を込めて関わることが「はぶんちょ」を終わらせ、新たな社会(神の国)を創造することにつながります。

(教会報「コムニオ」1・2月号)