先週金曜日(1月24日)は聖フランシスコ・サレジオの記念日でした。今週金曜日(1月31日)はドン・ボスコの記念日です。彼は自分が創立した修道会を故郷サヴォアの偉大な聖人の名をとってサレジオ会としました。
聖フランシスコ・サレジオ(1567~1622)の人間性に対する肯定的な態度は“敬虔なヒューマニズム”と呼ばれています。彼はアルプス公爵領サヴォアの貴族の家に生まれ、パリのイエズス会クレルモン学院で学びます。ところがソルボンヌ大学に入学してまもなくカルヴァン的な考え方に影響を受け、自分は滅びに予定されていると思い込み、絶望の危機に見舞われます。それを救ったのはたまたま入ったサン・エティエンヌ・ドゥ・グレ教会の黒いマドンナ像の前でのお祈りでした。
〈故郷サヴォアのあの優しいお母さんは息子である私の願いに必ず応えてくれる。まして天の母マリアが私を救うために、全力を尽くして下さらないはずがない。聖母にすべてお任せしよう〉
その危機からの救いを神学的に裏づけたのが、パドヴァ留学時に読んだロレンツォ・スクポリの“霊の戦い Il combattimento Spirituale ”でした。その本の中で、スクポリは言います。
「何か為さねばならないとき、自身と戦おうとするとき、自身に勝とうとするとき、それを企てたり決めたりする前に、まず汝自身の弱さに想いをいたせ。次に、自身への不信に満たされて、神の知恵と力と善に向かい、それらを信頼して、祈りとともに、たたかい励め」と。
ロレンツォ・スクポリ(1530頃~1610)は教皇パウロ4世が1524年ローマで設立したテアティノ会に1569年にナポリで入会。1577年司祭叙階。イタリア各地で司牧と著作活動に励みます。ところが、1585年に同修道会から還俗処分を受けます(後から分かったことですが、どうやら、同僚の嫉妬による中傷が原因だったようです)。そのような処分があっても、彼は生涯、同会の修道院に寄居し、黙想の生活を過しながら多くの方がたに深い感銘を与え続けた生涯を送りました。フランシスコ・サレジオはこの本を高く評価し、自著の中でも言及しています。
スクポリの著書は、1937年、聖書学者・渋谷治(しぶたにおさむ)師によって『心戦』として翻訳出版され、読まれ続けています。
主任司祭 松尾 貢