- あらゆる人間の可能性――「この人のそばにいると安心する。居心地がよい」。どうでしょうか。あなたには親しい相手がいますか。そして、あなたは「誰かの居場所」になっていますか。あなたのまわりに人が集まってきますか。トマス・アクィナスはマリアのことを「全き三位一体の神の居場所」(Triclinium totius Trinitatis)と呼びました(『天使祝詞講話』10項)。御父・御子・聖霊がよろこんでマリアのなかで生きています。三位一体の神にとって、マリアという人間は「居心地がよい」わけです。「三位一体の神が安心して居座る場所がマリアという人間である」というトマスの物言いは、あまりにも型破りです。こういう言葉は普通の常識では、決して言えたものではありません。しかし、洞察力に満ちたトマスは大胆な言葉を後世に遺しました。そこまでして、トマスが強調したかったことは、「人間そのものが、すごく素晴らしい!」という一事に尽きます。
- あらゆる時代のあらゆる人と連帯するマリア――信仰者の歩みは三段階を経て深まります。旧約時代、新約時代、教会の時代。第一段階の旧約時代の人間は御父とともに旅することを望み、第二段階の新約時代の人間は御子イエス・キリストとともに食事をしながら語り合うことを求め、第三段階の聖霊降臨以降の教会の時代の人間は心の底から神の息吹の心地よさに支えられていることに満足します。マリアは信仰者の三つの時代のすべてに関わりながら、あらゆる人の希望の目印となります。まさにマリアの姿は、「神とともに生きるあらゆる信仰者の可能性」を示します。人間は神といっしょに生きることができます!
- 居心地のよい生き方、神の居場所となるよろこび――様々な困難が積み重なる現代。誰もが居心地の悪さを実感しています。そして各人には居場所がありません。居心地の悪い状況で、居場所を見失って生きている人々が、あまりにも多いのです。安心できないまま生きている現代人は、あたたかな家庭を求めています。誰もが「どうせ自分はダメだ」とつぶやき、相手に失望しています。しかし、歴史上のマリアは果敢にも居心地のよい状況を自発的に積極的な攻めの姿勢で実現しました。同時にマリアは御父・御子・聖霊を丁寧に受け容れつづけました。積極的な能動性と完璧な受動性がバランスよく保たれています。
キリスト者の支え役である聖マリアを「教会の母」として戴いている私たちは、マリアのように積極的に居心地のよい人間関係を創りあげると同時に神の居場所として自分をすべて明け渡す毎日を過ごします。攻めと守りのバランスのよさ。臨機応変に、相手の状況に応じて寄り添う能力こそが神からの賜。こうして、私たちはマリアの姿をとおして居心地のよい生き方を学び、神の居場所となるよろこびを発見できます。
協力司祭 阿部仲麻呂