先週の日曜日14日の午後、ミサや教会行事が一通り終わって、司祭館の2階でぼんやりとテレビを観ておりました。たまたま、サントリーレディスオープントーナメントの最終日の模様が放送されていました。

韓国のイ・ボミ選手が18番最終ホールをパーで終えたとき、十字を切る姿が映りました。よく、サッカーなどでピッチに入る欧米の選手の中に十字を切るプレーヤーがいます。またフィギアースケートの羽生選手も十字を切る姿が見られますが、羽生選手の場合、精神統一の手段として取り入れているそうです。十字を切る習慣があるのはカトリックか聖公会、オーソドックス(正教)、そしてごく一部のプロテスタントに限られます。イ・ボミさんは熱心なクリスチャンと言われているそうですが、ギャラリーが見つめている中で、プレーの最初と最後に堂々と十字を切ることができるのは素晴らしいことだと感心しました。

ところで、十字架を切るしるしの意味は、何でしょうか。『YOUCAT』は360項で、次のように説明しています。

“一日の始まりや祈りの冒頭だけではなく、大切なことを行う前にも、キリスト者は十字架のしるしを自身の上にして、「父と子と聖霊のみ名によって」務めを始めます。わたしたちを全面から包む三位一体の神の名に呼びかける嘆願は、わたしたちが行おうとすることを聖なるものとし、わたしたちに祝福をもたらし、困難や誘惑の中で、わたしたちを強めてくれます”。

十字を切る作法に関しては、ローマ・カトリックでは指の形にあまりこだわらず、右手で額(父と)から胸(子と)、左肩(聖霊の)から右肩(み名によって)、アーメンと唱えます。オーソドックス(正教)では指の形にこだわります。合わせた三本指(親指・人差し指・中指)は三位一体を表します。薬指と小指は手のひらにつけますが、その二本指はイエズスの神性と人性を表すと捉えます。十字の切り方もローマ・カトリックのように左肩から右肩ではなく、右肩から左肩と逆になります。

堂々と信仰表現するイ・ボミさんら韓国の信徒の方々、意味を考えながら十字を切る正教信徒の姿勢に倣い、心をこめて十字架のしるしを切るように努めてみたいものです。

主任司祭 松尾 貢
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