復活祭後から新学年度の教会学校、ジュニア会が始っています。ジュニア会では『ガリラヤへ』、教会学校高学年では『まるちれす』が新しいテキストです。長崎教区の古巣馨師が中心となって編集したテキストを学びながら10月の教区一粒会大会の準備もしています。

土曜日の教会史の講座でも1学期は『ガリラヤへ』をテキストとして一緒に読んでいるのですが、先日の学びのところで、次のような文章がありました。

「ザビエルに宿を貸した平戸の木村家からは、日本人最初の司祭が生まれた。こうして、ザビエルから福音の種を蒔かれた人たちが、日本の教会の中で大切な役割を果たしたのである」(『ガリラヤへ』30頁)

1550年の秋、ザビエルは1年間余過ごした鹿児島を出発、ミヤコ(京)を目指す途中、2、3か月ほど平戸に滞在、領主松浦隆信に歓待されます。

最初の受洗者はザビエルが泊まっていた屋敷の主人とその一家でした。その主人の孫にあたるセバスティアン木村(1565~1622)は、有馬のセミナリオ、臼杵のノビシアド(修練院)を経てイエズス会に入会します。その後、マカオで神学を学び、1601年9月、ルイスにあばらと共に最初の日本人司祭として長崎のセルケイラ司教から叙階されたのです。

司祭としての彼は、天草の河内浦、豊後、加津佐など九州一円で司牧に励み、1621年密告により長崎で逮捕されて大村牢に入れられます。翌22年の9月、西坂の丘でカルロ・スピノラ神父らと共に殉教。1867年にピオ9世によって日本205殉教者として福者として列福されました。

その殉教の様子を、マヨリカ神父は次のようにローマに報告しています。
「熱火が彼の内部にゆっくり浸みわたる間、そしてついに幸いな死の瞬間が近づくまで、まる二時間にわたって彼は常に動くことなく、真直ぐに身を保った。彼は地上にひざまずいたまま死を受けとり、頭を深くさげた。それはまるでこの国の習慣であるお辞儀をもって、死を迎えようとするかのようであった」。

ザビエルによって初めてキリスト教がもたらされ、司祭が誕生するまで52年の歳月がかかりましたが、実に素晴らしい実りを結んだことがわかります。

西村英樹神学生をはじめ司祭職を目指している横浜教区の神学生のために、これからも熱い祈りを続けていきたいものです。

主任司祭 松尾 貢
LINEで送る