江戸時代のかくれキリシタンたちは、四旬節のことを「悲しみ節」と呼んでいました。福岡県筑後平野にある今村地区のキリシタン集団(約200戸)発見のきっかけはこの「悲しみ節」でした。
今村地区でキリシタン大集団が発見されたのは1867年のこと。浦上の紺屋商人が久留米地方に藍を仕入れに行ったとき、今村にキリシタンがいるらしいとの噂を耳にします。紺屋はさっそくそのことをプチジャン神父に伝えると、師は深堀徳三郎たち4名を今村に向かわせました。今村に入った4人は店の主人に一晩泊めてほしいと何度も頼みますが、「ここは旅籠屋ではない」とどうしても入れてくれません。やっとのことで泊めてくれたのは髪結いのシマという女性でした。シマはキリシタンでしたが、そのことをおくびにも出さずに、浦上の4人の正体を探ろうとします。
「夕食を炊きますが、お菜は何にしましょうか、鶏はどうですか」とシマが聞くと「いや、鶏は食べません」と4人が答える。
「お好きではないのですか?」とシマ。「好かぬのではないが、いま食べてはならぬ時ですから」。
4人の方は自分たちがキリシタンであることを知らせたいので、分かるように発言する。
「そんなら卵はどうですか」とシマはしつこく聞きます。「鶏も卵も一切食べません。食べてはならぬ時ですから」。
この言葉を聞いたシマは微笑み、同時に4人もシマがキリシタンであると確信したのでした。
その後、今村の代表者たちが何度となく大浦天主堂のプチジャン師を訪問し、今村はカトリックに戻ったのでした。
四旬節とは何か? 3つの特色を挙げることができます。
第1に、四旬節は、なによりも復活祭を準備する期間です。四旬節は、6週間という典礼暦の中で最も長い準備の期間がありますが、復活祭がそれだけ大切な祝祭であることを示しています。
第2に、洗礼志願者たちにとって特別な期間です。教会はできるだけ洗礼は復活徹夜祭か復活祭に行われることを勧めています。
第3に、四旬節は、信者たちが、既に受けた洗礼の恵みを新たにする期間です。自分なりに何かの犠牲を決めて過ごし、なんらかの軌道修正をするように致しましょう。