遠藤周作は随筆集『走馬灯――その人たちの人生』の中で、有馬のセミナリオのことに触れています。息子を伴って島原半島南部を旅した時の息子さんとのやりとりは臨場感があって面白いものです。

「今から四百年前に、ここではもうラテン語や哲学や西洋音楽などを日本の青年たちは勉強していたんだな」
「ふうん」

息子は私の手前、神妙な顔をしてうなずいたが、あまり興味はなさそうだった。いつもの癖で私はいらいらとしはじめた。父親がその人生で夢中になったことに、子供が関心を持ってくれないのは口惜しかった。

「その頃の彼等の勉強なんて、お前たちのように、なまやさしいものではなかったんだぞ。ラテン語を学ぼうにも字引だってないし、レコードやカセットだってある筈はないんだからな」
「そうだね」

親爺が真面目に話してやっているのに本気で聞け、と叱りたかったが我慢した。今は別に興味や関心がなくても、やがて私が死に、息子が人並みに人生に苦しむ時が来た時、父親がなぜここに彼を連れてきたか、分かるかもしれんなどと、くだらんことを考える。

「とにかく、ここの卒業生のある者は遠くヨーロッパまで留学している。ペドロ岐部という卒業生は、アラビア砂漠をわたって欧州に入り、ローマで勉強している。太田とか、石田とか、辻とかという卒業生はここで学んだことのために幕府から拷問にかけられたり殺されたりしている」
「ふうん、なるほどねえ」

私は遂に諦めた。仕方のねえ奴だなと思いながら、まあ、今はこれでもいいのかもしれんと考えた。

「セミナリオ」は今で言う小神学校のこと。司祭・修道士を目指す四日市サレジオ志願院の中高生は、現代版「四日市のセミナリオ」の生徒たちと言えます。また、セミナリオには元々苗床の意味があります。志願生たちが心と体の栄養をたっぷり吸って、のびやかに成長し、将来の教会のリーダーとなって欲しいものです。

主任司祭 松尾 貢
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