このところ鷺沼教会では幼児洗礼式が続いています。幼児洗礼式の中で、赤ちゃんに十字のしるしをする場面があります。最初に司祭が、続いて、両親、代父母の順で赤ちゃんの額に十字架のしるしをします。とても意味深く美しい典礼行為だと思います。

初代教会の記録、たとえば『ディダケー』7章やユスティノスの『第一弁明』61章によると、洗礼を授けるとき、“父と子と聖霊”という三位の名によって式を行ったと記されています。洗礼の際、三位の名とともに十字架のしるしをする習慣は、二世紀頃からだそうです。四世紀からは、司祭が人やものを祝福するときに十字架のしるしをするようになります。現在のように、右手を額から胸に垂直に降ろし、次いで、その手を両肩に水平に動かして十字架の形をしるす様式は、五世紀から始まりました。もともとは-東方教会が現在もそうしているように-右肩から左肩の順でした。西方教会ではその方向を変え、左から右にしるすようになりました。

日本語の「み名によって」という表現はギリシア語で“eis to onoma”、英語でいえば“into the name”です。「よって」と訳される“eis”という前置詞は、唱える人が、唱えられる存在に与ることを示します。すなわち、「父と子と聖霊のみ名によって」と唱える際、典礼に参加する共同体は、唱えられる三位の人格に深く結ばれていくわけです。

十字架刑は最も残酷で屈辱的な処刑法でした。そのような人間の呪いである十字を切ることによって、祝福と救いに変容してくださる神様の慈しみをキリスト者は賛美します。十字架は、「神の慈しみによって救われないものは何一つない」ことを力強く語ります。それゆえカトリック信徒は祈りの初めと終わりにいつも十字架のしるしをし、三位の名によって神様をたたえるのです。東方教会では、親指・人差し指・中指を合わせて三位一体を表し、薬指と小指はキリストの神性と人性を表すと説明します。

上記の意味を考えながら、十字のしるしを切りたいものです。

主任司祭 松尾 貢
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