この夏、スペインで開かれた世界青年大会(ワールド・ユースデー)には鷺沼教会から青年11名と三島師の計12名が参加しました。横浜教区全体の参加者が30数名でしたから、鷺沼教会勢が三分の一を占めたことになります。今年初めに皆様に要請した支援カンパとお祈りのご協力にあらためて感謝いたします。

先日、ユースデイから戻ってきた青年たちとの会話の中で、青年たちが使った“幸せの基準が下がった”という表現が新鮮な響きとして心に残りました。お世話になったドミニコ会修道院ではシャワーが水で、お湯が出なかった。教皇ミサを前に広場で一晩過ごすのに,天気が荒れ模様で寝袋がぬれないようにした。ブラジルの青年たちに場所を取られて、スペースを確保するのに必死だった。そんな体験をしていく中で、日本で自分達がいかに恵まれた環境の中で生活しているかがわかった。その当たり前の生活のありがたさを、青年たちは「幸せの基準が下がった」という言葉で表現したわけです。

その話を聞きながら、さいたま教区の岡 宏神父様の話を思い出しました。師の著書『遮られた非常口』や『光への離陸』に詳しいのですが、暴走族に入っている若者や非行少年を立ち直させる一つのやり方として、岡神父様は時に少年たちをバングラディッシュに送り、ある程度の期間、そこで生活させるという荒っぽい方法を用いました。その狙いは二つ。一つは仲間から物理的に切り離すこと。もう一つは、極端な不便さを体験させて、彼らがいかに恵まれているか、甘えているかを骨の髄まで痛感させることにありました。コンビニなどあるわけがない。娯楽も何もない、生活に必要なものしかない中で懸命に働き、生きている人々と暮らす中で、少年たちは自分達の甘えに気がついていきます。

そのことは、非行少年に限りません。日本に住む私たち皆が、便利さや快適さに慣れきっている中で、今回の青年たちの体験からくる「幸せの基準が下がった」という言葉は大切なことを教えてくれます。

「ふだんめったに教会に来ないのに、まわりの熱気にあおられて“パパ様ー”と叫んでいる自分がいた」との青年の言葉を聞きながら、それがWYDの持つ力と素晴らしさなのだと感じました。

主任司祭 松尾 貢
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