雑誌『福音宣教』2010年10月号に掲載されていたある男子修道会の元管区長さんの記事を、敬老の日にあたって、ご紹介したい。
ある日、高齢の修道士が突然、「修道院を出て、養老院に入りたい」と願い出てきた。「エッ、何で修道院を出なければならないのですか」と問うと、その修道士は、「長年修道士として働いてきたが、体力が衰えて、もう仕事ができなくなった。しかし、修道院にいると、どうしても仕事をしなければならない。養老院に入り、仕事から引退したい」と語ったという。
“どうしても”というので、管区長はあるカトリック系の施設入所を世話した。その後、その修道士さんはその施設で仕事もせず何もしないでいたかというと、そうではなかった。庭の草取りなど、よく働いてくれて助かっていると、お世話するシスター方には、ありがたい存在になっている。
管区長さんにとって、非常にショッキングな、複雑な気持ちにさせられた出来事だった。“なぜ、修道共同体で、できる範囲の小さな仕事をしながら、兄弟と一緒に生活できないのだろうか?”
考えてみると、管区長さんには思い当たるふしがあった。その修道会では司祭の仕事と修道士の仕事が分けられている。宣教師や司祭は主に小教区で働き、他方、修道士は台所や受付、畑仕事や家事に従事している。使徒職や福音宣教が優先される価値観の中、宣教師や司祭は小教区や宣教の現場で働き、週に一度か月に一度、修道院に戻ってきて兄弟であることを確認し、情報を交換し、休養を取り、生涯養成の機会をもち、リフレッシュして現場に戻る。その陰で地味な働きしているのが修道士。掃除・洗濯・裁縫・台所仕事・部屋の掃除からベッドメイクを担ってきたのが修道士だ。そうした過去の歴史が彼に心理的な重荷と疲れを負わせ、「何もしなくてもいい、何もできなくてもいいから一緒に生活しよう」という長上の説得は、むなしく響いたのではなかったのか、という反省であった。
この元管区長さんはこう自問している。引退した高齢会員の部屋に立ち寄って雑談をする小さな配慮、動きがおそい高齢会員が食堂に揃うのを2・3分を待つ小さな忍耐と兄弟愛。それが、私たちにも不足していた、と。
ひょっとして私たちのまわりでもみられる事柄ではないでしょうか。