どういうわけでしょうか。わたしは日本の時代劇が好きです。“まあ、年配の外国人はだいたいそうですよ”と言われたら、それまでなのですが、時代劇に出てくるのは日本の文化、風潮、歴史、心そのものだと思えるのです。とうとう、長年続いた“水戸黄門”のシリーズも終わりになろうとしていますが、大変残念に思っています。

ところが、多くの時代劇には、仇討の場面があります。それだけは、好きになれませんね。悪者が捕まったとき、罪を償うため、当分の間島流しにしてもいいかもしれませんが、皆を斬ってしまうのはいけないですね。イエス様はことばと行いによって、ゆるしは、最高の復讐であると教えてくださいました。

来日して数ヶ月後、1981年5月13日、福者ヨハネ・パウロII世は、謁見の場で一人の若者によって鉄砲で打たれ、危うく命拾いをされました。退院した後、ヨハネ・パウロII世は、刑務所に入っていたその犯罪人を訪れました。ご自分を打ったその青年をゆるしている場面の写真があります。その写真を思い出すとき、わたしは、これこそキリストが見せてくださった愛の証だ、とつくづく考えます。

今日の福音の中で、主イエスはゆるしについて語ってくださいます。黙想すべき重要なことばだと思います。

悪いことをされても、その事実を忘れることができなくても、罪を犯した人を憎まないことができて、はじめて私たちはキリストが教えてくださった愛を理解し、キリストの愛に生き、キリストの愛の証人となるのです。

助任司祭 アキレ・ロロピアナ
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