アイキャッチ用 田中神父の今週の糧

私が幼稚園の年中ぐらいの時でした。右の耳の中耳炎にかかり医者に行って治療してもらいました。そして包帯でグルグル巻きにされて帰って来ました。食事もそこそこに寝についたのですが、布団に入って私はすぐに泣き、だだをこねて寝る場所を交代してくれるように頼みました。縁側から、母親・私・兄・姉と並んで寝るのですが、痛めている右の耳を上にして寝ると母親を見ることができなくなったからです。今になって思うと、小さいときの私は、布団に入ってまっすぐ天井を見て寝るのではなく、母を見ながら安心して寝ていたことになります。ヤッパリ夜を恐れていたのです。

復活されたイエスさまの弟子たちや婦人達への第一声は、「あなたたちに平安があるように」であり、次に「恐れることはない」(マタイ28:10)でした。私達人間の歴史の中に、いつ“恐れ”が入って来たのでしょうか?

それは人祖が罪を犯した時でした。「アダムと女が主なる神の顔を避けて、園の木の間に隠れると主なる神はアダムを呼ばれた。『何処にいるのか』彼は答えた。『あなたの足音が園の中に聞こえたので、恐ろしくなり、隠れております。私は裸ですから』」(創世記3:10)

恐れは人祖の罪の結果です。「恐れるな!」は、全人類の罪を贖われたイエス様の喜びの気持ちが込められたメッセ-ジだと言えます。ルカは救いの歴史の中で、重要なポイント、ポイントにいつもこの「恐れるな!」のメッセ-ジを繰り返しています。救い主イエス様の先駆者ヨハネの誕生は「ザカリヤ、恐れることはない」という天使ガブリエルの言葉で始まります。イエス様の誕生の喜びには「マリア、恐れてはなりません」とのガブリエルの言葉が含まれます。そしてクリスマスの喜びを天使達は羊飼い達に告げます。「恐れることはない。私は全ての民に及ぶ大きな喜びの訪れをあなたたちに告げる。今日ダビデの町にあなた方のために救い主がお生まれになった」と。

「恐れることはない」には、御受難・御死去・御復活を通して、私達のために“死”に打ち勝たれたイエス様の喜びが込められています。

主任司祭 田中次生

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