殉教(No.7)ロヨラ・ザビエル・岐部神父の熱病

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岐部神父様がロ-マ滞在中の、1622年3月12日、イグナチオ・ロヨラとフランシスコ・ザビエルの列聖式が「聖ペトロ大聖堂」で行われ、参加した彼はすぐさま、帰国の旅に出ました。創立者ロヨラと日本に最初に「キリスト教」を伝えたザビエルの列聖式は、イエズス会員であった彼の心をゆさぶりました。

(2)ロヨラからのメッセ-ジ
ロヨラの特徴について川村神父は、「本物を見抜く力」をあげています。彼は国境紛争でもめた、フランス軍との戦いで前線の指揮を取っている時に負傷しました。仏軍も彼の軍人としての忠誠心に痛く感動し、ロヨラの故郷まで丁重に送り届けたと伝えられています。病床で出会ったルドルフ著「キリストの生涯」とボラジネ著「聖人伝」を読んで考察を続ける中で、人間の心の中にある「神に結ばれた善霊」と「神から離れて俗世間に結ばれた悪霊」の存在があることに気付き、人間を幸せにする「善の霊」を見抜く「本物を見抜く」ことの大切さを痛感したのでした。これが彼の「霊操」につながったのです。それは「神の栄光」を求め、全てのものをそれとの関係で秩序付けるものです。そしてその行き着くところが「魂の救い」だったのです。

ロヨラ自身も33歳という年齢を押して、パリ大学で神父になるための勉学を初め、聖バルブ学院寮でザビエルに出会ったのでした。彼は「本物を見抜く力」で、ザビエルの「人間としての大きさとエネルギ-」を見抜いたことになります。そして「全世界の人々の魂の救い」のために、イエズス会を創立する時、その七人の仲間に誘いこむ事が出来たのでした。

ザビエルが生涯をかけて求め続けた「神の栄光と魂の救い」は、ロヨラからたきつけられた“情熱の炎”でした。彼が宣教師として旅立つことになったのは1539年のこと、教皇のたっての願いでイエズス会員が東インドに旅立つ際、選ばれた会員のうち一人が急病にかかった時、彼はピンチヒッタ-として選ばれ、即座に“ハイ!!”と答えたのでした。ザビエル34歳のときでした。かれの“魂への情熱”がそうさせたのでしょう。

話は変わって、ザビエルは1552年12月3日中国の上川島で、“熱病”のため亡くなりました。彼は身体的な“熱病”と“魂への熱病”に罹って亡くなられたことは確かなことです。先輩たちの列聖式に参加しながら、岐部神父もその“熱病”に感染してしまったのです。

主任司祭 田中次生

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