「先週水曜日の断食と灰の式から、四旬節に入りました。ところで、〝四旬節に入る〟とはどういうことを意味するのでしょうか。〝四旬節に入る〟とは、霊的な戦いに特別なしかたで取り組む時期を開始することです。この霊的な戦いは、わたしたちを、わたしたち一人ひとりの中にある、またわたしたちの周りにある世界の悪に立ち向かわせます。
〝四旬節に入る〟とは、悪を真っ向から見つめ、悪の結果と、何よりも悪の原因、それも悪の究極の原因であるサタンとの戦いに備えることです。〝四旬節に入る〟とは、悪の問題を他人や社会や神に押し付けずに、自分の責任を認め、それを自覚的に自らに引き受けることです。そのため、わたしたちキリスト信者にとって、自分の『十字架』を背負い、へりくだりと信頼をもってわたしに従いなさいというイエスの招き(マタイ16・24参照)は、いっそう切迫した意味をもちます。
『十字架』は重荷に見えるとしても、できるだけ避けるべき不運や災難と同じものではありません。むしろ『十字架』は、イエスに従い、そこから、罪や悪との戦いにおいて力を得るために用いるべきよい機会です。それゆえ、〝四旬節に入る〟とは、個人としても共同体としても、キリストとともに、悪に立ち向かう決心を新たにすることです。実際、十字架の道は、憎しみに対する愛の勝利、利己主義に対する分かち合いの勝利、暴力に対する平和の勝利を導く唯一の道です。
このように考えると、まことに四旬節は、キリストの恵みに基づく、確固とした修徳的・霊的な取り組みのための好機といえます」。
上に引用した長い文章は、今年と同じ典礼暦年A年(2008年)四旬節第一主日の聖ペトロ広場でのお告げの祈りの前に、教皇ベネディクト16世がなさった挨拶の言葉です。わたしたちも、4月24日の復活祭まで、教皇様の呼びかけに応えて、回心と軌道修正の歩みを続けてまいりましょう。