昨年6月から始まった司祭年が、6月11日金曜日の「イエスのみ心」の祭日で幕を閉じます。司祭年のモデルとして教会から提示された聖ビアンネと今日お祝いするご聖体の関係についてふれたいと思います。
聖ビアンネが初聖体を受けたのは、フランス革命のテロの嵐が吹き荒れるさなかでした。迫害され、非合法のまま、抵抗を続けていた教会の一室、カーテンを引いたその陰で初聖体を受けたといわれています。
1818年2月、ビアンネはリヨン北方のローヌ渓谷に臨むアルスという村に派遣されます。信徒数わずか230名の小さな小教区の主任司祭として、ゆるしの秘跡とご聖体の奉仕の務めを41年間はたしたのです。牧者ビアンネのご聖体に関する言葉を黙想してみましょう。
「おお、司祭であるということは、何とすばらしいことでしょう!
神ご自身まで、司祭の言葉に従ってくださるのです。司祭は告解における“私はあなたの罪を赦します”と、ミサ聖祭における“これは私のからだである”というただ二つの言葉を言いさえすればよいのです。――そうすれば、私どもの主は、天から降りてきてくださいます」
「わが子たちよ、いかなる被造物も、生きていくためには栄養が必要です。そのようにして、神は植物を成長させてくださいます。それはいわば、すべて生きとし生けるもののために備えられた食卓です。
誰もが自分の栄養をそこで摂ることができます。しかし、魂もその栄養を必要とします。どこで、それを見出すことができましょう。わが子たちよ、魂が地上を旅するための栄養を与えようとなさったとき、神はすべての被造物をよくご覧になりました。しかし、適当なものを見つけることがおできになりませんでした。そこで改めて、ご自身をご覧になり、ご自分を与えることを決心されたのです」