8. 最後の審判の日
日曜日父親が子供を教会に連れて行った。やがて説教が始まった。その日の主題は「最後の審判」で、世の終わりに何が起こるのかの話だった。「太陽が暗くなり、月は光を放たず、星は天から落ち、天体は揺り動かされ……」 父親の服の袖を、子供が引っぱってつぶやいた。「お父さん、学校は休みになるよね」。
サン・パウロ『教会のこぼれ話』
9. 天国で
神学者のカール・バルトにある婦人が永遠の生命について尋ねた。「先生、私たちは天国で、愛している人々にみな再会するというのは、本当に確かなのでしょうか」。バルトはその夫人を鋭く見つめて言った。「確かです。……でも他の人々とも再会します。」
日キ出版局『笑いの伝承』
10.神の側で
「悪人は、たとえ天国に入れたとしても、そこが天国であると気付かないでしょう。またこれとは逆に、汚れ果てた身のまま天国に入ったことが文字通りの拷問となり、心中に地獄の火が燃え盛ることになるのかもしれません。そうなれば、これこそ天国にいると悟った場合の最悪の事態でしょう。」
ニューマン説教集『心が心に語りかける』
11.「喜ぶ人とともに」
天国とは実に他人の喜びをそのまま素直に自分の喜びと感じるところだからです。だから、たとい私が一番下の位にいたとしても、一番上におられる聖母マリアの喜びをまったく自分のものと感じて喜ぶことになるのです。いや本当は、神の無限の喜びに私も一杯与るのです。「私たちは魚のよう、神様の愛の中で泳ぐ」のです。
松永久次郎『続 みことばの花籠』
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「喜ぶものとともに喜び、泣く人とともに泣きなさい」(ローマ12:15)とパウロは生活の基本原理である愛として教えました。その延長に天国があります。悲しみの涙は、喜びの涙に変るでしょうけど……