アイキャッチ用 田中神父の今週の糧

聖フランシスコ・サレジオ(No.3)

1824年ジョバンニ・ボスコ9歳の時の夢。「家の近くの、とても広い庭にいるような感じでした。そこには、大勢の子供たちが遊んだり、はしゃいだり、勝負事に打ち興じていた。中には汚い下品な言葉を口にする者もいた。私は子供たちの中に飛び込んで、どなりつけたり、力ずくで黙らせようとした。その時、立派な身なりの威厳に満ちた男の人が現れて言った。「鉄拳はいけない。柔和と愛を持って子供たちの友達になるのだよ。君に女の先生をつけてあげよう。この先生の指導を受ければ、君は賢くなれる」と。女の先生は、優しく私の手を握って言われた。「御覧なさい。これが貴方の持ち場です。謙遜で、強く、たくましい人になりなさい。」 私が目を転じると、大人しい子羊に変わっており、とびはね、走り回り、鳴き声をたてながら、嬉しそうに男の人と女の人をとり巻いた。(自叙伝要約P24~)

そのためか、ドン・ボスコは小さい時から「神父になる」という大きな夢を抱くようになりました。子供の時、ドン・ボスコの周りには優れた立派な神父が沢山いました。しかし、その中の一人として、子供を相手にする人はいませんでした。そのことを少年ボスコは、母マルゲリタにしばしば愚痴るのでした。「もし僕が司祭だったらあんなふうにはしない。僕は子供たちに近づき、一緒に過ごし、子供たちを愛し、子供たちから愛されたい……イエス様が忙しい宣教の合間に、子供たちの相手をして下さったように、僕も……」と。

ドン・ボスコはこの夢を実現した。

このような姿勢は、サレジオの聖フランシスコに通じるところがあります。27歳で司祭になってフランシスコは、子供たちを大切にし、その話し相手になり、教理を教えるのを忙しいからといって避けたりはしませんでした。凍死の危険、教敵の狙撃、刺客の待ち伏せなどにも屈せず教区中を回り、「親切と柔和」を武器にシャンブレー市のほとんど7万人が再びカトリックに帰正したと言われています。

主任司祭 田中次生
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