『こころのチキンスープ』に次の話が載っています。
「ちいさな男の子」
ちいさな男の子が星を見上げて涙を流しました
星が話しかけました 「どうして泣いているんだい?」
ちいさな男の子が答えます 「だって、あなたは遠い遠いところにいるんだもの、僕は、あなたに触ることもできないんです」
そこで星が言いました「私はすでに、君のこころの中に住んでいるんだよ だからこそ、君には私が見えるんだよ」
東の国からの博士たちは、エルサレムに来て言いました。「私たちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです」と。私は“その方の星”という言葉にいつも引っかかっていました。私がよく参考にしている加藤常昭牧師の解説によると、「メシア待望」が散らされたユダヤ人や改宗者を通して、非ユダヤ人にも知られていたのだろうと推測しています。しかし沢山の占星術の学者たちも見たのに、その中でわずか3人(?)が遠路はるばるユダヤのベツレヘムにたどり着いたのです。そして馬小屋の中に聖家族を見つけ「彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として捧げた」のでした。何故彼らだけが、幼子イエスさまにたどり着けたのか、考えれば考えるほど、疑問も湧いてきます。でも「ちいさな男の子」の話を読んで、なんとなく理解できるようになりました。この博士たちの心には神様・イエス様がもう住んでおられたからです。イエス様をいつでもお迎えできるような「きれいな心」の持ち主だったのでしょう。星の王子さまの言葉「だけど、目では、なにも見えないよ。心で探さないとね」が頭に浮かんできました……
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明けましておめでとうございます。今年も神の恵みの年でありますよう心からお祈りいたします。どうかよろしく!!