イバニエス神父様の講話“あなたによって心は広くされ、わたしは戒めに従う道を走ります。”(詩篇119:32)の言葉が私の心に響いたことについては触れました。その言葉を何回も何回も心の中で繰り返しました。

次の日の朝荷物の中から、どこでどう間違ったのか(?)ジョギング・シューズが出てきたのです。「そうだ!! 走る時もイエスさまと一緒に走ろう!!」と考え、昼食後の休み時間に毎日ジョギングしました。黙想の家は丘の中腹にあるのでどのコースを走っても最後は上り坂でしたので、一番風呂に入って汗を流す時は、流石「湯布院温泉だなぁ」と体感しました。
しかしあくまで第一目的は「黙想会」でしたので、教会に帰ってくると会う人会う人が「神父様、湯布院温泉はどうでしたか?」と質問されたので正直なところびっくりし、また「何を勘違いされているのだろう!!」と素朴な疑問を感じました。

さて、イエス様は「私は道であり、真理であり、いのちである。私を通らなければ、だれも父のもとに行くことはできない」と言われました。そうです。イエスさまは「道」なのです。父から人間に至る道であり、また人間から父に至る道なのです。そして嬉しいことに「私は世の終わりまでいつもあなたたちと共にいる」(マタイ28:20)と御昇天の時、最後のお別れの言葉として残して下さったのです。
私の好きな言葉に「同行二人・どうぎょうふたり」があります。四国の巡礼者たちが弘法大師と巡礼を共するという考え方です。イエス様も「私について来なさい!!」と命令されるだけではなく、私たちと一緒に歩いて下さるのです。「旅は道連れ」です。誰が一緒に歩いてくれるのかによって、旅は苦しくなったり、喜びになったりします。復活後エマオまで2人の弟子たちと共に歩かれたイエス様でした。食卓でパンを割かれ、「イエス様」と気付いた時、姿は見えなくなりました。でも2人は「あの方が道々私たちに話しかけた時……私たちの心は中で燃えていたではないか」と互いに語り合いました。私たちの人生という旅路をイエス様と一緒に歩きましょう!!

主任司祭 田中次生
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