8月15日は、終戦記念日であり、被昇天の祝日でもあります。上智大学の教授巽豊彦さんの本でも指摘されていますが、第二次大戦を含めて「日本」は不思議と「聖母マリア様」とご縁があります。戦争が始まったのが、12月8日・無原罪の聖母の祝日でした。そして終わったのが、被昇天の祝日であり、8月9日・長崎原爆投下の深夜「無原罪の聖母に捧げられていた浦上天主堂」が炎上しました。そして丁度その時刻は、天皇陛下が「無条件降伏」を決断された時刻だと言われています。
終戦後、長崎司教区で野外ミサが教区を挙げて捧げられた時、永井博士が信徒代表して苦渋の信仰告白をされました。「キリシタン時代から、300年にわたって信仰を守り通した、浦上の信徒8000人の尊い死は、神の祭壇に捧げられた潔い羊にも例えられる。カルワリオのキリストの生贄が、長崎の信徒の生贄に、その意義と崇高さを与えているのである」と。博士は自ら原爆に体を侵され、愛する妻を亡くしたにもかかわらず、健気にもこの敗戦の中に神の摂理と配慮とを読み取ろうと努力されたのでした。恐らくは、第二次大戦と聖母マリアの祝日の間に見られるくすしき一致の中に、必死になって、歯をくいしばって人知を超えた神の計らいを読みとろうとされたのだろうと巽氏は書きます。(『人生の風景』)
何の本だったのか忘れましたが、カトリック信徒の原爆患者さんの言葉を読んだことがあります。彼女は言います。「原爆は落ちて欲しくはない。誰だってそう思うだろう。しかし、どうしても日本に落ちないといけないのなら、長崎に落ちて良かったのです。何故なら、私たちの場合にはまだ信仰によって助けられますから……」 私はそれを読んで複雑な気持ちになりました。一面では、原爆に対して人間としてもっと怒りを感じないといけないと思っているし、他面「カトリックの神は、カトリックの町長崎に、キリスト教国アメリカが原爆投下するのを、傍観していたのか?」との巷間での議論があるからです。
神の愛と悪の問題、神の全知全能と人間の自由の問題は結論の出ない問題です。マリア様のご生涯にあっても、出来事の中に神の摂理を見るのは簡単ではなかったのです。「マリアはこれらのことをことごとく心に思い巡らしていた」と二度も記されていることでも理解できます。