8月・マリア様の被昇天の月(No.2)

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8月15日は「聖母の被昇天」をお祝いします。そしてその日はフランシスコ・ザビエル(当年43歳)が鹿児島に第一歩を印した記念日でもあります。1549年の当日ザビエル一行8人が乗った“海賊号”が鹿児島の田ノ浦海岸にマラッカから52日の航海を終えて錨を下ろしたのでした。同時にその日は1534年パリのモンマルトルの丘の小聖堂で、イグナチオ・ロヨラ等7人衆が誓願を立て「イエズス会」を発足させてからちょうど15年という記念の年でもありました。

鹿児島の人たちは町を挙げて一行を歓迎しました。領主の島津貴久は、6年前にポルトガル人が薩摩に上陸したこともあり、外国貿易を望んでヤジロウを城に呼び、インドについていろいろと質問するのでした。特にヤジロウから「マリア様の御絵」を見せられた時には感動し、侯自ら跪拝しただけでなく、並み居る家来たちにも跪拝させたのでした。そして彼は母堂を呼び寄せその御絵を見せたところいたく感動し、自分のためにその絵を複製して欲しいと頼みました。その絵は油絵であり、日本にはまだその技法が伝わっていなかったので、残念なことにその願いは叶いませんでした。

ザビエルは日本の宣教を大天使聖ミカエルの保護のもとに置きましたが、丁度9月29日の祝日に島津貴久侯に拝謁を許されました。その時のことと「マリア様の御絵」のことも11月5日付けゴアのイエズス会宛の長い手紙に記しています。マリア様は、生きているかのように生き生きと描かれ、見る人を感動させたのでした。私のうろ覚えの知識では、8月22日の「天の元后聖マリア」の日に日本をマリア様に委ねたと思っていました。一、二度説教でも言ったこともありました。今回手元の資料で調べたらどこにも記録されていないのです。どなたかその資料をお持ちの方は、是非教えて下さい。いずれにしても、キリシタン発見の「サンタマリアの御像はどこ?」を含めて日本の教会がマリア様のご配慮の中にあったことを強く感じます。私たちのお母さんマリア様は、お母様の優しさと天の元后という力強さを持って今も私たちを天国から見守って下さるのです。

主任司祭 田中次生

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