ヨゼフ様の「親父力」(No.3)
カトリック作家の矢代静一さんと女優の岸田今日子さんの対談を読みました。その中で矢代さんの子供がまだ小さいとき、友達とけんかしてプンプン怒りながら家に帰ってきた話がありました。さっきまで庭で仲良く女の子たちと“ままごと”して遊んでいたのにとそのわけを聞くと、朝食が終わって「パパいってらっしゃい」と女の子からカバンを渡されても、ソファーに寝転がり、新聞を読み始めたら女の子たちとケンカになったというのです。四面楚歌の中、子供は健気にもお父さんを弁護したのでケンカになったのです。だから父親の後ろ姿を大切にしたいというのです。
この意見に対して、岸田さんは次のようなご家庭での裏話をしていました。
彼女は家庭の中で、ほとんど家事らしい家事をする時間もなかったのですが、でも娘さんは学校で「お母さんが仕事をしている絵を描きなさい」と課題を出されると、自分の家・お母さんのことは脇に置いといて、友達の絵やTVのドラマ等を参考にしてとりあえず、お洗濯をしたりお料理しているお母さんの姿を、つまり「家庭の中のお母さんのあるべき姿」を描いて提出していたのだそうです。「わが娘よありがとう!! 本当によくやった!!」という感じだったと素直に(?)告白しているのを面白く読みました。
子供は、両親の後姿を見ながら育つといわれます。これに異論を唱える人はいないでしょう。そうするとイエス様もマリア様とヨゼフ様の後ろ姿を見て育ったことになります。特に、少年イエスにとって、お父さんのどんな後姿が印象に残ったのでしょうか? それはきっと沢山あることでしょう。私はマルコ(6・32)の「出入りする人が多くて、食事するひまさえなかった」イエス様を考えてしまいます。大工さんとして村人の急用に迅速に対応されるヨゼフ様の忙しさ・優しさを見慣れていらっしゃったのでしょうか? それにしても、幼きイエス様が学校の宿題としてお父さん・お母さんを書かれるとしたら、何を題材にされたのでしょうか?