黙想会に参加していたとき、説教者がこのようなことを話されました。「今ここで黙想会に参加し、色々の話を聞き、新たな心で決心を立てるだろうが、それが案外実践されずじまいで終わってしまう。その理由は、ここで聞いた話しや、心の中に浮かんだ決心などが、自分の生活の場、活動の場から実際に生まれたものではなく、あたかも何時までもこの黙想の家で生活するような自分中心のプランに基づいて立てられているからだろう。」なるほどと頷かされる指摘でした。そう言えば、毎年、元旦の静寂の中でゆっくり立てた計画が、三日坊主で終わり、日常生活に生かされないことを多くの人は体験しています。

教会の暦が変わり、新しい年度が始まりました。ここでカトリック信徒はこの年への決心と自分の霊的目標を新たにしていく必要があります。わたしたちの従って行かねばならない目標は、「人であるイエス・キリストである」(Ⅰテモテ2・5)であることは勿論です。マザー・テレサは次のように言っています。「聖性は少数者のぜいたくではありません。それはあなたとわたしとの単純な義務なのです。ですから天の父が聖であるようにわたしたちも聖になりましょう。それは自らを神にゆだねる霊の英雄的な行為です。あなた自身を神に完全に捧げなさい。そうすれば、あなた自身の弱さはさておいて、神の愛をより多く信じる限り、神はあなたを用いて偉大なことを成し遂げられることになります。」(心の静けさの中で36ページ  スピンク編黙想集)

「キリストに自分をゆだね、徹底的に模倣しよう」という遠大な計画だけでは、先に述べたような結果に終わってしまうでしょう。そこで、わたしたちはその道に進む具体的な生き方をどのように見出すべきでしょうか。わたしたちが学ぶべき方はキリストに従った聖人方であることは言うまでもありません。聖人方こそキリストに自らをゆだねて生き抜いた方だからです。そのため聖人方のうちで、最も自分に合った聖人、好きな聖人、たとえば自分の保護の聖人、霊名の聖人の生き方を模倣することです。先ずはその聖人の生き方を良く知ること、その聖人の生き方でどの面が特にキリストに倣ったものか、そして今のわたしにとってそれがどのように生かされるか身近な目標、細かな具体的努力目標を設定して、努力を進めていくことです。これはわたしたちの信仰生活の中で必ず大きな進歩に導いてくれるでしょう。

今年はまず各自の保護の聖人、霊名の聖人を知ること、研究すること、模倣することから始めてはいかかでしょうか。これによってキリストに従う具体的な道を見出し、自分の保護の聖人をもっと愛していくことが出来るようになるでしょう。

主任司祭 小坂正一郎
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