しばらく衣紋掛けにあった前掛けをシスターに洗濯してもらおうと丸めながら思いとどまり、きれいにたたみ直して入れました。道具屋町の店先にぶら下がっていた変哲のない前掛けで、ジーンズ地の丈夫なものですが色も落ち、ペンキがついたり、補修のあともあり、古くなっていますが、これには深い思い入れがあり、大事にしている捨てがたい一品なのです。

あの朝、ベットの下から突き上げる振動で目を覚まし、ベットに腰掛けたままアヴェ・マリアの祈りを唱えながら、それが地震だとわかるまではしばらく間がありました。何をどうすればよいのかすぐには考え及びもしません。校内の見回りに行きましたが、余震のためか床が斜めになっているようにも感じました。これが阪神大震災の最初の体験でした。大阪のわたしたちの学校では人的被害や大規模修復を要する被害の無かったのは何よりでした。

幾日か過ぎ、学校の整理もついて、「西宮のカルメル会が、ガラスを入れてくれる助け手を待っている」という情報を聞いて、早速わたしたちも復旧作業に参加することになりました。行ってびっくり、あの寒の最中、割れた食堂の窓にはコピー用紙のような紙が画鋲で貼られ、これを耐えるのが当たり前というような雰囲気でした。ローソクの作業場は崩壊し、聖堂、居室などは復旧出来るのかと思うほどの惨憺たる状況です。それから半年近く通い続け、修道院の破損したガラスを多くの人の協力で入れ替えました。

日曜日だけがわたしたちの作業日ですので、朝早くから出掛け、渋滞の高速道路は崩落危険通行禁止の側道を突っ走り、制限速度など何のその、「救援活動に行っているのだという驕りの心に満ち溢れ」、作業が終わるまで何時になっても帰らないぞという意気込みで、作業用の投光機や足場など満載して出かけたのでした。作業中にも、禁域など堂々と犯し、修院の中を平気で歩き回り、勝手気ままに自分の計画をやっていこうという姿勢でした。

そのうちに段々自分の心の浅ましさに気付いてきました。シスターの生活は別なプログラムです。夕方は早い。生活のリズムがある。よその人から乱されてはいけない生き方を生涯貫いているのです。あたかも自分の考えることをやるのが愛徳だと思い込み、正しいことをやっているのだと勘違いしている自分に気付かされました。「人からしてもらいたいことを、人にもしなさい」(ルカ6,31)という教えは、十分わかっていながら「自分がやってあげたいことを、人にしてあげる」という心に流れていることを思い知らされました。

先に述べたジーンズ地の作業用前掛けは、常に必需品として作業活動中は身に着け、驕りの心を感じ取ったものです。この前掛けを見るたびに、いつも心が引き締まります。

主任司祭 小坂正一郎
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