チマッティ神父様の初ミサ金祝を祝って、時のサレジオ会総長ジジョッティ神父様が来日され、その機会に私たちは初誓願を宣立することが出来ました。誓願文を読み終わり、総長様の祝福をいただいた後、傍らの机に赴き、感激に震える手で誓願証書にサインをしようとしたとき、傍に付いて下さっていた修練長のダルクマン神父様がしっかりした口調で耳元にささやきかけてくださったのが、「おめでとう」と言うよりも先に表題に掲げた言葉で、これは生涯にわたって忘れえぬことばになっています。

ダルクマン神父様は見方によってはきびしい修練長であったと思います。しかし、修練者に対してきびしいだけでなく、若い修練者とともにご自分もそのきびしさを生き抜き、ともに歩んでおられたのは印象的でした。修道生活の何かもわからない若者の指導に当たられ、修練者の一般教科、すなわち新約聖書、旧約物語、教理入門、典礼、作法などの授業をほとんど一人でこなし、その上、毎晩修道生活入門を一時間講義され、毎週、二十名近くの修練者の個人面接と霊的指導をされていました。その姿を見ながら一年間の修練期を過ごしたからこそ、誓願式の日に聞かされた「武士は一言」という言葉はなるほどと納得するものでした。修道生活を曲がりなりにも継続し得たのは、神父様の教えと姿がしみこんでいたからだろうと思います。

その後、間もなく管区長に就任され、今度は日本のサレジオ会全体を指導される立場になりました。ちょうどその時、第二ヴァチカン公会議の発表、開催、改革と教会は大きく揺れ動いた時代でした。その大変な状況の中で、日本のサレジオ会は戦前来日して宣教に備えていた宣教師と戦後来日された若い宣教師、それに戦後育ってきた邦人会員が、それぞれの現場で宣教と司牧活動の充実を図って発展していく重大な時期と重なり、ダルクマン神父様の苦労は大変なものだったと推察されます。上のことばは多分、御自分の座右の銘とされていたものだと思いますが、ご自分を叱咤激励する為には一度も聞いたことはありませんでしたが、管区長職に就かれてからも新立願者に対して常のこのことばを与えていたと聞きました。

ダルクマン神父様は、鷺沼の地で学校が軌道に乗り出した1970年サレジオ修道院の院長として着任されるとともに、近隣の信者さんの世話を精力的に始められ、1973年には正式の小教区として独立が認められ、初代の主任司祭に任命されました。そして、草創期の聖堂建築や小教区信徒のために力を出して下さいました。「武士は一言」の信念があったからこそ今の鷺沼教会の基がすえられたことだと思います。

最期のわずかの時を身近に見ながら生活させていただきましたが、その姿の中に、神父様のモットーが滲み出ているのを感じました。今こそ主のみもとでチマッティ神父様や在天のサレジオ家族の方々とともに神様を賛美されるように祈っています。

小坂神父
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