イエスは、私たちに「神と富、二人の主人に仕えることはできない」と言われました。世の中にはお金がすべてだと考えている人もいます。そのような人はお金が最も価値あるもの、お金さえあれば何でもできる、幸せにもなれると思い込んでいます。しかしそのような人は、お金の奴隷にもなっています。
実はこの福音の背景には、「奴隷制度」というものがありました。イエスや使徒たちの時代、奴隷として生きていた人がいました。今週2月16日に記念する「聖オネシモ」という人もフィレモンが雇っていた奴隷で、パウロから洗礼を受けて信者になりました。
ですから二人の主人に仕える、この「主人」というのは、奴隷を雇う主人を示しています。そして雇い人である主人に譬えるのは神です。それに仕える管理人に譬えるのは、私たちです。そしてこの管理人である私たちは自由な者として喜んで主人に仕えるか、奴隷のような者として嫌々主人に仕えるかによって生き方が大きく変わってきます。
まさにオネシモは奴隷ではありましたが、彼の心は自由だったと思います。なぜならイエスの教えに喜んで従い、パウロとともに宣教活動に熱心に取り組んでいたからです。
私たちもオネシモのように自由な心で神に仕えることが大事です。それは自分を生かし、永遠の命を手にすることができるからです。
主任司祭 西本 裕二