今日、カトリック教会は「貧しい人々のための世界祈願日」です。2017年から始まったものですが、これはイエス・キリストがつねに貧しい人や弱い人の立場に立ち、「わたしの兄弟であるこの最も小さな者の一人にしたのは、私にしてくれたことなのである」(マタイ25章31-45)とおっしゃった、このキリストに倣い、私たちも貧しい人々や社会の中で弱者と言われている人々に寄り添って奉仕することが求められているものです。
サレジオ会は、特に貧しい若者のために生涯をささげて働く修道会です。数年前、サレジオ修道会として、会の原点とも言える精神の見直しがされました。それは「貧しい若者とは誰か」ということを再考することです。
以前、杉並修道院にいたとき、修道院ごとにこれを課題として検討するよう求められ、6名の会員たちと一緒に考える機会を持ちました。教会も修道院も、杉並区と練馬区の境界線近くにありますが、教会に来ている信者は、経済的に余裕がない方は少ない地域であるように思いました。
では貧しい若者とは誰かと対象を考えたところ、一つ提案がでたのは、近隣にある女子修道会が運営する自立援助ホームの若者たちです。そこは家庭の事情や児童養護施設などを退所し、自立せざるを得なくなった若者がホームでの生活をとおして自分の未来を考え、人生を歩んでいけるようにシスターや指導員の方がサポートする施設です。そして以前、そこで働く一人のシスターを招いて一度お話しを聞かせてもらったことがあります。
話を聞きますと、確かにこのような若者たちも貧しい若者と言えるでしょう。しかし現代は、ひとり親家庭で食事も満足に取れない子供たちなどを助けるための「子ども食堂」や都筑教会でも協力している「フードバンク」などの支援活動は多くあるように思いますが、家庭の事情などで自立せざるを得ない若者を支援する活動はそれに比べて少ないように思います。それはきっとあまり目立たず、知られていないからだと思います。
2023年の「貧しい人々のための世界祈願日」のテーマは、旧約聖書のトビト記にある、信仰深いトビトが息子トビアに与えた言葉で「どんな貧しい人にも顔を背けてはならない」というものです。
私たちキリスト信者は、家庭の事情などで自立せざるを得ない貧しい若者がいることも知り、今年のテーマのように、どんな貧しい若者にも〝顔を背けずに″キリストのようにつねに貧しい人や弱い人の立場に立って、自分のできることで手を差し伸べていかなければならないのではないでしょうか。
教会としても、このような貧しい若者のためにできることを考え、一緒に取り組んでいけたらと思っています。
主任司祭 西本 裕二