私は映画が好きでDVDを200本ほど持っています。そのほとんどが息抜きのために購入したもので、アクションやSF映画ばかりです。『ターミネーター』や『マトリックス』など人口知能(AI)に関連する映画は、リアルで未来の世界を見ているかのような幻想に囚われます。それは現代、AI技術が発達し、映画の世界を現実に彷彿させるかのようになってきたからです。

『ターミネーター』は、人間が開発したロボットが意志を持ち、やがて自我に目覚めて人間を攻撃し、人間VSロボットの戦争が起こるといった内容です。また『マトリックス』も機械との対決で敗北した人間が機械にエネルギーを供給する電力供給源に転落するといった内容です。このように映画の世界で見る感情のない機械への恐怖は、多くの人にAIの脅威といったイメージを焼き付けているかもしれません。そして、ある人はAIが世界の終わりをもたらすと考えています。しかし決してそうとは言い切れないでしょう。それは機械が人間を滅ぼすのではなく、それを使う人間が機械を使って、世界を滅ぼす可能性はあると思います。

カトリック新聞6月30日号に教皇フランシスコが6月13日から15日までイタリア南部で開かれたG7サミットに教皇として初めて出席し、14日に演説をしたことが掲載されていました。その中で教皇はAIに触れ、政治的指導者に向けて、「人口知能(AI)が人類より優先順位となることは決して許されない」と警告し、「AIを人類のために役立て、そのリスクを軽減するために必要な条件を早急に整える責任がある」と語りかけました。
この教皇の発言は、人間の労働力の排除やAIの軍事利用などへの懸念を示したものと言えます。しかし現実には、すでにAIによって合理化が進み、リストラなどが行われ、またAIの軍事利用が進み、ロシアに劣勢となっているウクライナは、戦局打開のためにAI兵器の開発を進めています。またイスラエルのガザ地区の攻撃でもすでにAIシステムが利用され、民間人の犠牲者の増加につながったと言われています。つまり人間の仕事が不要となり、AI兵器の誕生も現実を帯びてきているということです。

どんな道具でもそれを使う人間の倫理観が問われます。教皇フランシスコが語られたように、AIにおいても「人類のために役立てる」とか「生活のために活かす」など、人の幸せのために利用されるべきものです。
かつてユダヤの民がカナンに向かう途上、自分たちの思いを遂げるために、神を見失い、「金の子牛」を作り、神の怒りをかったように、現代も人類が先端技術を頼るあまり、神を見失ってしまうかもしれません。そして、それによって世界に取り返しの付かない深刻な状況をもたらしてしまう可能性があります。
私たちは神を見失わないためにも、技術に過信することなく、平和な未来を見据えて、謙虚かつ賢明に歩んでいかなければならないのではないでしょうか。

参照『ロイター:ローマ教皇、AI巡り警告G7サミット参加』
『NHKWEBサイト、クローズアップ現代―AI兵器が戦場に』
『カトリック新聞6月30日号』

主任司祭 西本 裕二

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