濵﨑敦師

【ご報告】濵﨑敦師(サレジオ会日本管区 管区長)来会のご報告

2024年9月29日、濵﨑敦師(サレジオ会日本管区 管区長)によるミサが行われました。
その説教をお届けします。

《ミサ説教》

※今回は音声録音です。

《お説教概要》

今回、この都筑教会に来させていただいた1つの大きな理由は、公式視察です。管区長は年に1度、各支部を訪問して、会員と面談をしたり、小教区の方々と交流を持つという勤めがあります。

私は、阿部仲麻呂神父、主任司祭・西本裕二神父と修練院が同期なんです。よく3人でいるので、“三位一体の修練者”だとよく言われました。実は、3人で修練を過ごして、3人とも司祭になったのは私たちだけで、それは自慢なんです。今回は、管区長職の任命受けまして、こういう立場でお話しさせていただくことになりました。

さて、今日の福音の話(マルコ9・38~43,45,47~48)、弟子たちの愚かさというか、人間っぽい、俗っぽい姿が、描かれています。イエスの1番近くにいたにもかかわらず、何にもイエスから、学ばず、成長していかない。彼らはイエスのそばにいる、それは確かなことなんですけど、だから「私たちは選ばれている、他の人と違うんだ」という特別意識、あるいは差別意識があったんだろうと思います。

イエスの救いというのは、なんとか派閥とかなんとかグループとか、そういったものに左右される小さなものではありません。そういった枠で考えられるものではありません。そうした弱さは、人間には誰にもあるものです。
もしかしたら私たちの教会の中でも、そういった派閥やグループに固執して他を疎外する気持ちがないか、ちょっと振り返るいい機会だと思います。

相手を中心にして、宗教など相手が大切にしてるものを大切にする。これがマザー・テレサの生き方でした。

今日イエスが仰っているように、「私を信じるこれら小さなものの1人をつまずかせるもの」になっていないかという問いかけが、今日の福音になるかなと思います。謙虚になって、本当の救いに、また救いの業に少しでも近づいていくことができるよう、ミサを通して祈りたいと思います。

《写真》

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