「浦上燔祭説」という言葉があります。これは長崎への原子爆弾投下にまつわるあの永井博士の考えを批判して名付けたものです。燔祭とは、神に生贄を捧げる儀式のことです。

当時、広島は市の中心に原子爆弾が投下されたことから市街地域全域にわたって甚大な被害を受けたことはご存じかと思います。それに対して、長崎は、浦上という街外れの山あいの集落に落とされました。この山間が回廊のような役割を果たして、狭い地域を爆風が吹き抜けたため、広島と比べて長崎は被害が少なかったと言われています。
これに対して原爆についての考え方や態度において、長崎市民の間に温度差や対立が生じました。ある人は「原爆は長崎ではなく浦上に落ちた」とか、またある人は「お諏訪さん(諏訪神社)が原爆から守ってくれた」と言う人など、様々な考え方が起こりましたが、そんな中で信徒を慰める葬儀の場で永井博士は、長崎の原爆投下は、「神の摂理」であり、原爆による死没者は「汚れなき小羊の燔祭」である。そして生き残った者は、「神が与えた試練であり、神に感謝」すべきと話されたそうです。

ところがこの永井博士の話は、彼の意図を越えて「アメリカの原爆投下を正当化している」などと言って、教会内外から数々の批判が起こりました。
この永井博士の「神の摂理」論に影響を受けて、長い間、被ばくを宿命ととらえていた信者も多かったようですが、その流れを変えたのが、1981年に来日した教皇ヨハネ・パウロ2世の「戦争は人間の仕業です」という言葉でした。
私もこの言葉を初めて耳にしたとき衝撃でした。それまで私自身、原爆投下に対しては「なぜ神がこのような恐ろしくひどいことをゆるしたのか」とずっと思っていたからです。
永井博士を擁護するわけではありませんが、彼は自ら被ばくし、妻も亡くし、原爆の恐ろしさや悲惨さがよく分かっていたと思います。そのため、彼は戦争に対する〝人間の愚かさや醜さ″を伝えるためにあえて「神の摂理」と言って、戦争のあり方を私たちが考えることを願って言ったのではないでしょうか。

事実、戦争はいつも人間の欲望や思惑が渦巻く中で行われてきました。そして人類は愚かにも非道な戦争を繰り返し、核などの兵器は増すばかりです。このような危険な側面は、人間だれの中にも存在するのではないでしょうか。
私たちはそれを考えながら、二度と愚かな戦争を繰り返さないためにも、それぞれが他者への憎しみや怒り、また偏見や差別といった心を持たないことが大切ではないでしょうか。

参照「Wikipedia(浦上燔祭説)」、
   「WEBサイト(好書好日永井博士の弔辞、意図せぬ解釈、青来有一)」

主任司祭 西本裕二