福音宣教

行って福音を述べ伝えなさい

 今日は「世界宣教の日」です。私たち一人ひとり、神から選ばれてキリスト信者となりました。けれども、ともすると私たちは本来、行わなければならない福音宣教という大事な使命を忘れて、教会とか、家庭という小さな枠、小さな世界だけに留まって安心し、毎日を過ごしてしまいがちです。
 イエスはそのような私たちに向けて、自分たちの小さな世界に閉じこもらずに、もっと広い世界へ出ていきなさいと伝えているように思います。

 世界宣教を考えるときに私たちは、先ず福音宣教を考えていかなければならないでしょう。福音宣教は、自分が出会う人に神の救いのみ言葉であるキリストを伝えることです。み言葉を伝えるために大事なのは、自分という殻を破ることだと思います。それを破らなければ、福音宣教が自分の力だけでできるという傲慢に陥ってしまうからです。
宣教活動が成果をもたらして、人が導かれるのは、人の力によるものではありません。神の働きがあって、人は救われるのです。だから、私たちは自分に与えられた機会を神のために尽くすだけでよいということです。
もし自分が声をかけたのがきっかけで、誰かが教会に来るようになったとしても自分を誇るべきではなくて、神に感謝することが大切です。また自分が誘って教会に来なくなったとしても自分を責めるべきではないのです。
私たちは自分ができることをしたら、「あとはおまかせします」という気持ちで神にゆだねれば、それでよいのではないでしょうか。
また私たちの使命である福音宣教をはばむのは、他人ではなく、自分自身です。それは自分という狭い世界から他人という広い世界に心を開いていないからです。

世界宣教の出発点もここにあります。私たち自身が人に心を向けるように変わっていかなければ、本当に大きな働きはできないでしょう。
これを考えるときにイエスの言葉が思い出されます。「小さなものに忠実であったから多くのものをまかせよう」(マタイ25.21)と言って、神の喜びに与らせてくださることです。
また神が私たちに恵みを与え、大いに有効に使ってくださるために、私たちがそれぞれ神の道具として、使い易い道具とならなければならないと思います。そのために自分に与えられた小さなこと、たとえば自分に与えられた仕事を忠実に果たすことや自分の身近にいる人を大事にすることで、神は私たちに働きかけてくださるということです。
「全世界に行って福音を述べ伝えなさい。」(マルコ16.15)この言葉が力をなしているのは、神が告げているからです。ですから私たちは宣教活動において、神が力を与え、導いてくださるということを信じて、神にその働きをゆだねてまいりましょう。一人でも多くの人がキリストの救いに導かれるために‥。

主任司祭 西本 裕二