今日は「ラテラノ教会献堂」を記念します。ラテラノ教会は、教皇のアヴィニョン捕囚まで使徒座として使われ、それ以降は、聖ペトロ大聖堂に移されましたが、今でもローマ司教(教皇)の司教座聖堂として「カテドラル」となっています。
そしてラテラノ教会は「すべての母なる聖堂」と呼ばれ、格式があります。
またローマの四大バジリカ(大聖堂)の一つに数えられています。それで今年、開催されている25年に一度訪れる聖年の際に、前教皇フランシスコは、2024年12月24日聖ペトロ大聖堂の「聖年の扉」の次に12月29日ラテラノ教会の「聖年の扉」を開いています。
「教会」と言いますと、多くの人は、建物をイメージするかと思います。確かにラテラノ教会も、聖ペトロ大聖堂もりっぱな建造物ですが、建物は目に見える「しるし」でしかありません。教会は、ギリシア語で「エクレシア」と言います。それは「人々の集い」という意味です。つまり教会は、キリストを信じる人たちの集まりであり、キリストの教えに従って歩む共同体をさしています。
ですから教会に集まる私たち信者一人ひとりの生き方が大きなしるしになるということです。そのため私たちはそれぞれ与えられた使命を果たしていかなければなりません。キリスト信者の使命は、第一に「キリストの福音(救いのメッセージ)を伝える」ことです。第二に「神への賛美と感謝を捧げる」ことです。第三に「互いに愛し合い、助け合う」ことです。私たちは、これらを生きて初めて証しになります。
使徒パウロは「私たちの福音があなたがたに伝えられたのは、ただ言葉だけによらず、力と、聖霊と、強い確信とによったからです」(Ⅰテサロニケ1.5)と言っています。つまり福音を伝えるためには、言葉だけでなく、聖霊の力を求め、信仰をもって生きることが大切であるということです。
このように私たちキリスト信者が信仰をもった生き方によって、目に見える教会を指し示し、さらには目に見えないキリストを証しすることができるのです。それによって、教会が現代の人々の救いのしるしになっていくのではないでしょうか。
参照:WEB西千葉教会(教会が初めての方)
主任司祭 西本 裕二

