待降節に入り、新しい典礼暦が始まりました。典礼暦はキリストの生涯の出来事(救いのわざ)を1年で一周して思い起こし、記念する暦(カレンダー)です。特別な季節(待降節、降誕節、四旬節、復活節)とそれ以外の期間を年間として、そしてそれを色にもわけて(司祭の祭服の色など)お祝いします。またその他に典礼暦には、毎年決められた日や移動する日に祝う祭日や祝日があります。そしてまた聖マリアや聖人たちの祝い日や記念日もあります。

このように素晴らしい典礼暦があるのは、教会の豊かさを示し、私たちの信仰を深める上で助けになります。そのため、教会に典礼暦がなければ、きっと信仰生活は少し物足りなさを感じるのではないでしょうか。
 けれどもこれは私たちの気持ち次第で変わるものでもあると思います。皆さんはキリスト信者として、このような典礼暦に関心を示し、大事にしているでしょうか。自分にとって、典礼が欠かせないものと考えているならば、その人にとっては、典礼暦は、信仰生活の基盤となっていると思います。

これから過ごす待降節は、主の降誕の準備の季節となります。私たちは毎年それぞれの仕方で過ごしていると思いますが、本来、どのように過ごすべきでしょうか。待降節は、自分の生き方を見つめ直し、信仰を深めるときです。それは、前教皇フランシスコも言われたように、「キリストの到来に心を向けるとき」だからです。そしてそれによって、キリストとの出会いに備えることができます。
つまり待降節は、救い主が再び私たちのもとにおいでくださることを待望して、「信仰の心」で待つ大事なときです。信仰はダイナミックです。ですから、喜んで進んで自分のできると思う良いことを実行して、今も生きておられるキリストと出会うようにつとめましょう。

ちなみに私自身、今年の待降節は、キリストの到来を待つために、自分を見つめ直して、もう少し「忍耐力」を養うように努めていきたいと考えています。

    
主任司祭 西本 裕二