5月6日は鷺沼教会の主保護者である聖ドメニコ・サヴィオを記念する祝日でした。昨年は列聖50周年にあたり、全世界のサレジオ会関係のところでは聖人に目を向ける機会が多かったので、ドメニコのことについて親しみを持たれたことでしょう。その面で、今年の祝日は特別な祝いもなく過ぎたのは残念でした。
ドン・ボスコは、ドメニコが帰天して2年足らずのうちに彼の伝記を著わし、特別すぐれた聖徳の模範であったことを教えると共に、自分の教育法が神の計画に沿ったものであり、そこから聖徳の花が咲き誇ることをドメニコによって示しました。伝記の中にドン・ボスコは次のエピソードを加えています。
ドン・ボスコはある日の説教で次のように勧めました。「若者が天国の道を歩み続けたいなら、次の三つのことを守りなさい。即ち 1)しばしば赦しの秘跡にあずかること。 2)よい準備をして聖体拝領すること。 3)すべての霊的ことを話すために聴罪司祭を一人選び、理由もなしに変えないこと。」
ドン・ボスコの勧めをすでに守っていたドメニコは、ますますこの言葉に励まされ、すべてをドン・ボスコに打ち明けて指導を願っていました。あるとき友人が「聴罪司祭を時々変えるほうがよいのだ」と勧めましたが、ドメニコはすかさず「聴罪司祭は魂のお医者さんです。病気のとき理由もなく医者を変えるのはよくないことです。聴罪司祭も同じです。」と言い返しました。
これを読んで、思い出すことがありました。あるとき一人の神父様について救急病院を訪れたことがありました。そこのエレベーターの前に「ホームドクターを持ちましょう」と張り紙がありました。そう言えば以前は「うちの先生」というのが居ましたが、最近はほとんど聞きません。時代と医療が変化したからでしょうか。私のからだを十分知ってくださっている先生が居るということは、ありがたいことであり、自信でもあります。
身体のことについてこのように変わったことは、霊魂についてもそうなってしまったかもしれません。信頼する霊的指導者や神父様を持って、霊的向上に努力するのもわずかになったのではないでしょうか。特に、「赦しの秘跡」において神に向き合う姿勢を導いていただくことが少なくなってしまったかもしれません。ドメニコ・サヴィオがあの若さで若者の聖徳を極め、神に飛翔できたのはとりもなおさず、ドン・ボスコの指導に全幅の信頼をおいて従ったからに他なりません。