アイキャッチ用 小坂神父の今週の糧

イエスの復活の喜びを祝いながら4月を過ごして参りました。大自然もキリストの復活に唱和するかのように、命のみなぎりを肌身に感じさせるような美しさを呈して、私たちの心を神への賛美に向けさせるかのようでした。冬の間すべての葉を落とし、あたかも枯れてしまったかのような姿しか見せなかった桜も、ここぞとばかり満開の花でトンネルを作り、美しい花吹雪は花びらの絨毯で飾ってくれました。キリストの復活は私たちの心を完全に上のほうに向けさせ、神との一致に引き込んでくれました。その4月が過ぎ、今日から5月、聖母マリアの月となりました。

新しい世紀を迎えるにあたって、ヨハネ・パウロ2世教皇は私たちキリスト者に向かって力強く「私たちがまずキリストのみ顔を観想しない限り、私たちの証しは、耐え難いほど貧弱なものであるに違いありません」(使徒的書簡『新千年期の初めに』16)と教えられました。今こそ私たちはキリストを観想すべく心を高めていかねばならない時なのです。そして、その最も素晴らしい模範がマリアであることは皆の認めるところです。マリアは「聖霊があなたに臨み、いと高きおん者の力があなたを覆うでしょう」と言われた大天使に「わたしは主のはしためです。おことばどおり、この身になりますように」と答えられてから、キリストの神秘を生き続けられ(ルカ1・35参照)、キリストの神秘を常に観想されていたのでした。(ルカ2・51)

私たちがキリストの観想に進み、徳への道に至るためにはマリアと共に歩まねばなりません。そのためにこの5月の間に特に勧められるのはロザリオの祈りです。「キリストを観想する比類ない模範はマリアのうちに見出されます。……キリスト教の神秘を観想する務めを信者たちの間に促進するもっとも効果的な手段がロザリオであるということです。……ロザリオは、まさにマリア自身の経験に端を発するものであるがゆえに、すぐれて観想的な祈りです。」(使徒的書簡『おとめマリアのロザリオ』5、10、12)

ロザリオの祈りは、実に簡単な祈りです。そのためこの5月にはしばしば個人的にロザリオの祈りを行うことが勧められます。しかし、機械的な単調な、あるいは心の観想を伴わないロザリオは魂の抜けた体に過ぎません。心を高める手段としてこの聖母月に捧げるようにして、ロザリオの美しい花束を聖母マリアに捧げたいものです。

主任司祭 小坂正一郎

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