クリスマスおめでとうございます

アイキャッチ用 小坂神父の今週の糧

イエス様のご誕生を
喜び祝い
幼子の祝福を
祈ります
2005年聖夜
カトリック鷺沼教会

 

飼い葉桶に寝かせた

クリスマス・シーズンにはあちらこちらに馬小屋(プレゼピオ)が飾られます。幼児を中心にした聖家族、羊飼いたち、遠路来訪した東国の博士たちがきれいに並べられ、わたしたちに主の降誕の喜びとメッセージを伝えてくれます。多くの人が色々の教会を訪問して、印象に残ったその地の特色を持った馬小屋を思い浮かべておられることでしょう。わたしも忘れ得ないものとして今に思い描いているのは「ベトレヘムの聖誕教会」にしつらえられたそれです。
中央祭壇の下に敷き詰められた麦わらの上に、手を合わせた幼な児が無造作と言えば悪く聞こえますが、横たえられただけのプレゼピオでした。そのあどけない表情、美しい姿は周りに何の飾りもないだけにとても印象的な雰囲気を呈していました。救い主の降誕というキリスト教の最も中心的な神秘が含まれるとともに、わたしたち人間の面から見ても大いに考察されるべき事柄が含まれているように感じました。
預言者によって預言され、イスラレルの民の渇望していた救い主が、弱々しい人間の子として生まれてきた。人々には考え及ばないことが実現したのです。それは人々から顧みられることもないような出稼ぎの若い夫婦の子としてこの世に生を受けたのです。「その名はインマヌエルと呼ばれる。神はわれらとともにいます」(マタイ1,22)と言う真理を悟るときにこのプレゼピオの単純さがいっそうわかってきます。
福音書を読むと、「二人がそこにいる間に、マリアはお産の日が満ちて、男の初子(ういご)を産んだ。そして、その子をかいばおけに寝かせた。宿屋には、彼らのために場所がなかったからである。」(ルカ2,6-7)人智をはるかに超えた神の計画がここに実現しています。しかもその幼な児は信頼しきった姿でそこに横たわっています。マリアと、ヨセフの二人とて神に信頼しきった面持ちで神の子の出現を迎えたことでしょう。

インマヌエル 神はわれらとともにいます
わざわざ生誕教会の飼い葉おけのもとに赴かなくとも、いずこの教会の飼い葉おけでも、その前にたたずみ「主の降誕」の神秘を黙想する人は、必ず神の計画に全幅の信頼と委託を抱くことのすばらしさを体験することが出来るでしょう。そしてその心に現代人が渇望してやまない「平和」が宿ります。「インマヌエル・神がわれらとともにいます」ことを体験できるからです。この平和の心が現在の地球上に、世界の国々に、わが国に、わたしたちの周りに、そして、時にはわたしたちの最も神を実感するはずの家族の中に存在していないのではないかと思います。

2006年度 年間計画
サレジオ会の総長は毎年サレジオ家族のメンバーに向かってその年の「年間計画」を発表し、霊的努力の方向付けを与えてくれます。年間計画と言うととても重く感じますが、イタリア語で「STRENNA」と言い習わしている言葉は、そのものずばり「クリスマス・プレゼント」です。サレジオ会とサレジオ家族はこの贈り物を大切にして、それぞれが一年かけて取り組んでいくことにしています。

「聖体の年」から「家庭の年」に
2005年は全教会で「聖体の年」を祝い、それにもとづいて1年間を過ごしてきました。教会共同体の行事や信心業もこの線に沿って行ない、聖体の教えに呼応する姿勢を毎週共同祈願に加え、コムニオ誌ではこれに関する企画を展開してきました。
総長は2006年度のストレンナ・年間計画のテーマを「家庭」とし、次のように定めています。

家庭に目を向けよう
家庭は、人間らしさの学び舎、命と愛のゆりかご

総長がこのストレンナを出された背景の一つは、2006年10月25日がドン・ボスコの母マンマ・マルゲリータの帰天150周年に当たるからです。この母なくしてドン・ボスコはなかったでしょうし、サレジオ会もサレジオ家族も育たなかったと思います。ドン・ボスコが子どもたちへの活動を始めたときトリノ・ヴァルドッコのその家には顧みられない子どもたちは大勢いましたが、世話し、導く「母」がいませんでした。「賄いがいないのですが」と言うドン・ボスコの意中を察したマルゲリータは、大事にしていた思い出の衣装を売り払って当面の資金とし、ヴァルドッコに住み込みました。時にマルゲリータは56歳。余生を静かにふるさとで送りたい年頃でした。以来亡くなるまでの10年間子どもたちのマンマとしてドン・ボスコの教育に重要な役割を遺してくれました。サレジオ会員がその教育法の原点として言い表す「ヴァルドッコの精神」とは実にマンマ・マルゲリータの生き様に他なりません。ちなみに教会は1995年に、この無学な農家の主婦、しかし信仰と慈愛と献身に満ちたマルゲリータを福者とたたえる運動の展開を許可して、その取次ぎを認めています。

信頼の原点=家庭
サレジオ会の原点、ヴァルドッコのマンマ・マルゲリータに目を向けながら、第二として、家庭が大切な「小さな教会、家の中の教会」であることを再認識するように促されます。そもそも教会とは集められたものであることを認識するとき、あのベトレヘムの馬小屋に思いは進みます。救い主、神の御子はマリアとヨセフにずべてを委ね、この聖家族の平和に満ちた家族は神への信頼にみなぎっています。家庭こそ信頼のもと、神から集められたもの、真の人間性が発揮され培われるところなのです。ストレンナにもとづいてわたしたちの教会共同体の2006年の決意を、関係者と相談して次のように定めました。この決意を毎週思い起こしながら共同祈願において捧げたいと思います。

命と愛のゆりかご、人間らしさの学び舎である家庭に目を向け、
福音に根ざす、愛と喜びに満ちた場を家族の一人ひとりが
作り出すことが出来ますように。

家庭の再確認を
現今の世界の姿を見るとき、どれほど人間性がないがしろにされているかがわかってきます。その面で家庭の大切さを改めて学び直さなければならないでしょう。特に来年はヨハネ・パウロ2世の使徒的勧告「家庭 ― 愛といのちのきずな Familiaris Consortio」という重要な文書が発布されて25周年になります。カトリック中央協議会ではペトロ文庫を創設して新たな出版と広報活動を始め、この文書をその第1回配本として先日出版されたことは神のはからいでなかったかと思います。これはわたしたち信者が家庭に目を向けるのに役立つもので読んでいただきたいと思います。
主の降誕の喜びを申し上げながら、新しい年にわたしたちのいただいた「クリスマス・プレゼント=ストレンナ」を大切にしながら歩み続けるよう祈っています。

主任司祭 小坂正一郎

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