典礼聖歌163番の「喜びに心をはずませ」の入祭の歌に励まされて、いよいよミサ聖祭を捧げるために祭壇に進むときの嬉しさは、参列されている信徒の心にも通じる響きであろうと思います。祭壇の上で聖なるいけにえが捧げられるのだ、そこに与るのだという喜びは毎回くりかえされるうれしい響きです。
1597年、キリシタン弾圧の見せしめのため、都で捕らえられた26名のキリシタンは市中を引き回された上、左の耳たぶをそぎ落とされ、着の身着のまま雪のちらつく激寒のなかを長崎までの800キロの死出の旅に進み行きました。彼らは今まで都にあって神の愛の教えを説き聞かせ、身寄りのない子どもたちを集めて教育をほどこし、かわいそうな病人の看護に尽くしていた人々でした。彼らはいささかも悲しい面持ちを見せず、恥じ入るような様子もなく、晴れ晴れとした姿で元気に聖歌を歌い、祈りをし、縛られた大八車の上から堂々と教えを説いていました。
15歳の少年トマス小崎は、広島の三原に着いた時、母親に書をしたため「わたしたちは長崎で十字架につけられることになっています。パライソ(天国)で母上様のおいでをお待ち申しています。」と書き残しました。この手紙は処刑の後、父親の懐から血にまみれて発見されています。
見せしめのためでしたので、道中の苦しみに加え、警護の者の取り扱いも激しかったでしょう。しかし、彼らの目指すところは単なる長崎ではなく、その先の「神の家」であったのです。そのため彼らの心は晴れやかに「心をはずませ、神の家に行こう」というイスラエルの民が都に上る時に口ずさんだその賛美の歌の心境で進み行きました。
唐津に着いた時、最年少13歳のルドビコ茨木少年のいたいけな姿に同情した長崎奉行代理の寺沢半三郎が「信仰さえ捨てれば、私の家に引き取って武士にしてあげよう。」と持ちかけましたが、ルドビコは「人に気に入るために神様に背くことは出来ません。」と断っています。このルドビコはいよいよ長崎西坂の刑場で、十字架につけられた最後のとき「パライソ、パライソ(天国、天国)。」と最後の言葉を残して神のみ国に上り行きました。時に1597年2月5日でした。
キリシタンの心は、あらゆる時にも神のため、天国の至福を目指しての生き様であったので、見せしめの苦しみ、十字架の受難、いのちを捧げる苦しみをも乗り越えることができたのでした。「神の家に行こう」という合言葉は、現代に生きるわたしたちにとっても力付けてくれる祈りです。