復活されたイエス様は、弟子たち・女性たち・人々にお現れになりました。聖書は「弟子たち」とか「婦人たち」とかクループの名前で表現する場合もあれば、個人の名前を明白に書く場合もあります。ペトロやヨハネや今日の福音では、重要な登場人物であるトマスなどの弟子たち。また、復活の朝、墓に油を持って出向いて天使たちの出現を受けるマグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメなどの夫人たち。エマオ旅人のひとりクレオパ等です。
その中でたった一人、復活されたイエス様から名前を呼ばれる女性がいます。それは「マグダラのマリア」です。彼女の素性についてはいろいろと説がありますが、そんなことはどうでもよいのです。大切なのはイエス様から直にお名前を呼んでもらえたことです。ヨハネの福音書20章に美しく記述されています。お墓に駆けつけたのに、空っぽになった墓を見て泣いているマリア・マグダレナに「マリア」とイエス様が声をかけられました。彼女はそれまでは、園の番人だと思っていたのが、一瞬にしてイエス様だと気付きます。
私は聖書のこの箇所を読むといつも、イエス様から直接名前を呼んでもらえたマリアはいいなぁと思います。そして自分の努力不足は一応棚に上げて、自分だってイエス様から直接名前を呼ばれたとしたら、どんなに一所懸命がんばってしまうのだろう!! と考えたりします。
でも実は、私たちは神様からいつも直接に名前を呼ばれているのです。イエス様は「善い羊飼い」のたとえでいいます。「私は善い羊飼いである。羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出し、羊を皆引き出すと先頭に立って行く」と。(ヨハネ10:1)
私たち羊は、羊飼いイエス様から名前を呼ばれているのです。忙しい毎日ですが、羊飼が呼ぶ「私の名前」に耳を傾けたいものです。